オーストラリア旅行記3

 Y氏、J氏、G氏、K氏、そしてリュウノスケの男5人で、サウスオーストラリア州を天体観測をしながらレンタカーで旅した記録です。当時学生であったG氏とK氏は1週間前からメルボルン入りして、フィリップ島やグレートオーシャンロードやグランピアン国立公園をレンタカーで巡り、アデレード空港で後発の社会人3人と落ち合いました。

 この旅行記はこのアデレード空港での合流以降の記録です。執筆者はリュウノスケ本人ではなく、同行したG氏です。


1994年1月8日
★合流
 Adelaide空港にて後発隊の3人と合流。到着口から出てくる嬉々とした3人を見ると、新たな旅が始まったのを実感する。ここで先発隊が酷使したパルサーはお役目ごめんとなり、代わりに砂漠仕様の4WDへ乗り換える予定。ところがこれからの旅にうかれる私たちに、いきなり試練が待ち受けていた。早速レンタカーを借りにBudgetのオフィスへと向かった私たちだが、いくら探してもオフィスが見つからない。しょうがないのでガソリンスタンドのおっちゃんに聞いた。

"Excuse me, I'm trying to find this office, but ..."
"Umm...This office has gone now."
"...What?...has GONE!?"

 なんとそのオフィスは1ヶ月前になくなっていたのだ。結局いったん空港に戻り、そこのオフィスで対処してもらう。Budgetにはすでに4WDがなかったので、他のレンタカー会社に問い合わせて4WDを手配してもらう。その名も"Cut Price Car & Truck Rental"。いかにも怪しいレンタカー会社の担当ボブに手配してもらったランクルは、走行距離123903Km、カーステは故障中、後部座席のドアノブははずれてどこかに飛んでいったままという、なんとも頼りになりそうな車だった。しかも失意に打ちひしがれる私たちに、追い討ちをかけるように大粒の雨が激しく降り始めた。。。

 とにかくクラリス・シティ・モーテルに戻り、全部で200kgはありそうな天体観測機材をなんとか詰め込んで出発。

★Adelaide市内にて
 車をカーパーキングに入れて市内をうろつく。荷物満載状態での駐車に苦労する。

 アウトドアショップで毛布を買う。これで寒い夜も安心。さらにマップランドへ地図を買いに行く。そこでMarree〜Lake Eyre付近の地形図を手に入れる。これでGPSが使えるようになったので、GPSを持参したJ氏もうれしそうだ。

 昼食はそこらへんのTakeawayの店で食べる。私はお気に入りのステーキサンドとミルクシェイクを注文。リュウノスケは量も考えずにハンバーガーとホットミルクを注文して、いきなり失敗していた。

 いかん、いかん。すでに時間を大幅にオーバーしている。今日の目的地であるPort Augustaへ向けて出発。ファーストドライバーはリュウノスケ。いつものごとく、地平線の見えるドライブに、最初は皆はしゃぎまくるが、しばらくするとすぐ飽きる。

 途中でLake Bumbungaなるものに寄り道。特になにがあった訳でもないが、とりあえず皆写真をバシャバシャ撮っていたのだけは憶えている。どんな写真を撮ったかは忘れた。ここでドライバーはJ氏に交代。

 時間的に余裕がなかったので、Port Pirieで先に買い物を済ませる。この町は結構大きな町で、スーパーマーケットもでかかった。ここで今晩の夕食を買う。その後駅に行って写真を撮る。ここからできるだけPort Augustaに近づいて宿を決めるということにする。

 Port Germainという田舎町でキャラバンパークを見つけるが、結局やめる。

 結局、Port Augustaまでたどり着いてしまった。モーテルを見つけて行ってみるが、キッチンがついてない。そこでモーテルのおばちゃんにキャラバンパークを紹介してもらう。なかなか親切なおばちゃんだった。こんど来たらあそこにとまってあげよう。

 キャラバンパークのキャビンはなんとビックリ、列車の車両を改築したものだった。おまけにいろんな動物を飼っていた。いきなりピーコック(孔雀)がドアの近くで鳴きはじめたのには驚かされた。その他にもカンガルー、ワラビー、インコ、ロバなどがいて、そこのおじさんがいろいろ見せてくれた。ちなみにロバの名前はノア。聖書のノアの箱船からとったそうだ(あの船にはロバも乗っていた)。よくみると背中に十字架の模様が。。。

 この日の夕食はステーキ、ポテト、キャロット、レタス。結構いける。デザートにバナナとリンゴ。バナナはけっこう効く(便秘に!)。

 観測は天気が悪くて全然だめだった。せめて固定撮影だけでもと思ったが、結局雲が出てきてだめだった。まあ、今日は皆疲れてるししょうがないか。


1994年1月9日
 朝、異常にはやく目が覚める。まだ皆起きそうにないので、まわりを散歩してみることにした。昨晩はあれだけやかましかったピーコックもようやくおとなしくなり、静かに羽を広げている。昨日は小屋の奥でじっとしていたワラビーも出てきて、朝の散歩をしていた。

 結局皆なかなか起きられず、9時くらいになってようやくもそもそと起きだしてきて、朝食をとる。

 Port Augustaで買い物をする。今晩の食料とサンダルを買う。みんなサンダルに履き替える。なかなか快適。とりあえずWoomeraへと向かう。

「なんにもないなぁ」
「晴れとるなぁ」
「暇やなぁ」

外の景色に比例して、車内の会話も単調になってくる。でもよく見るとまわりに塩湖がいろいろある。Island Lagoonというでっかい塩湖に寄って写真を撮る。

★Woomera
 昔々、Y氏とリュウノスケが観測を行なったという小さな町。1989年3月の第一次オーストラリアツアーでのことだそうだ。その手前のPimbaのガソリンスタンドで給油して、レストランで昼食を取る。このあたりはすでに雲一つない快晴。ここからStuart HWYを離れて、今日の目的地Marreeに向かう。

「なんにもないなぁ」
「晴れとるなぁ」
「暇やなぁ」

長い長い道のりを経て、ようやくMarreeにたどり着いたのは、すでに午後7時だった。

★Marree
 Marreeははっきり言って予想以上に小さな町だった。小さな小さな町だった。宿泊施設なんてあるかどうかと思うような町だった。町の中をうろうろした挙げ句、町のすみっこにあるキャラバンパークに泊まることにした。そこでオンサイトバンを借りたが、これがまたすごかった。当然のことながら、空調設備はない。何日(何ヶ月?)使用されてなかったのか想像もつかないが、テーブル、キッチンの上には砂がたまったっまだった。水道はあるけど水は出てこない。外に1つだけ蛇口があるだけだった。しかもこの水道水には塩分がたっぷり含まれており、この水で作ったコーヒーはまずくてとても飲める代物ではなかった。まったくなにからなにまでトホホの世界だった。

 Marreeには1980年までAdelaide〜Alice Springs間を結んでいたOLD GHANの線路跡と、ディーゼル機関車の残骸があり、さびれゆく町の哀愁が漂っていた。。。

 しかし、これだけの田舎町だからこそ、観測地としてはすばらしかった。内陸の乾燥した気候に加えて、雲一つない晴れ渡った空。おまけにこれだけの田舎なので当然光害なんかは気にする必要はない。特に前半ほとんど観測のできなかった私としては、それまでの欲求不満がいっきに解消されるほどのすばらしい夜空だった。しかも極軸のセッティングも完璧。C-8のガイドでもほとんどガイド修正が必要ないほどだった。これも夕方から丹念に極軸の調整を行なった私のおかげですね!

 なにしろ、水と砂の問題がなければ最高の観測地。がしかし、体力低下でぼろぼろだったためY氏は観測途中でダウンしていた。


1994年1月10日
★Lake Eyre
 真剣になーーーんにもない。道中の周りの何も無さは、過去の訪門地の中でもぶっちぎりの一番。まわりにあるのは地平線だけ。かつてY氏とG氏が訪れたChambers Pillarもこれには負けた。ただし道の悪さNo.1はやはりChambers Pillarが不動の地位をGet!。

 Lake EyreはNorthとSouthがある。並の人はSouthどまりのようだが、アブノーマルな我々はNorthをめざす。途中Southもみれるわけだが、その光景は異様の一言。白い湖面(水無しの塩)からの照り返しと頭上からの直射日光の両面焼きグリル状態で、あっというまに真っ黒け。ともかく暑くしかも乾燥しているので、頭はボサノバ。はるかかなたに水面らしきもの(おそらく逃げ水)は見えるものの対岸なんて見えません状態。ともかくでかい。皆写真をバシャバシャ撮って典型的な日本人観光客を化す。そしてもっと巨大なNorthへ。Northはあまりにもでかすぎて無言、閉口。Nothing to Say。結局絵になるのはSouthの方でした。

 Lake Eyreでは思ったよりフィルムを消費しなかった。なぜかというと、どの方向を向いても、ズーム比を変えても、下半分が真っ白で上半分が真っ青の写真しか撮れないからだ!!。青空と真っ白な湖の2色だけの景色なんて想像できます?あまりの眩しさに目が痛かった。これだけ塩が浮いてれば、水道水が塩水になるのも仕方ないか。。。

★白い人と黒い人
 Lake EyreではJ氏の存在がやたら目立ち、逆にリュウノスケはどこにいるのか分からないことが多かった。何故?!Y氏曰く、「リュウノスケとJ氏を同じ写真に撮ろうとすると、絶対にどっちかがとぶなぁ。EV差7くらいか?」と言っていた。。。

★J氏の魔法:
 今回の旅行の7不思議の一つ。J氏が運転すると、何故か目的地までの時間がすごく短く感じられる。実際にこの現象は私だけでなく、他の複数の人からも証言を得ることができた。ただしこれはあくまでも心理的時間経過の話であって、現実的時間経過はやはり大きかった。。。

 帰りはJ氏が魔法を使ってくれたおかげで、ものすごく短かったが、Marreeに戻ってくるころには5時をまわっていた。帰りに例の店に立ち寄る。「Lake Eyreか。あんな所地元の人間でもめったに行かんわなぁ。」だそうだ。確かにLake Eyreに行って帰ってくるまでに、誰も見かけなかったような気がする。。。途中で出会ったのは、カンガルー、エミュー、それに羊だけだったような。。。

★Marreeのおっちゃんの話:
 おそらくMarreeの唯一の店(何でも屋)のおやじ。食料品店だけでなく、ガソリンスタンド、郵便局もかねているらしい。「銀行はある?」って聞くと、「あるとも」と答え、金庫のあるカウンターへと歩いて行ったかと思うと銀行員に変身してしまった。しかもお釣が足りなかったりすると、「ちょっと待ってくれ」と言って鍵を取り出して外へ出て行き、公衆電話から小銭を取り出してた。なんてマルチなおやじなんだろう。おそらくMarreeの経済を一手に支えているのだろう。

★リュウノスケはあいもかわらずニワトリ状態:
 目の前に食べ物がある限り食べ続ける。1989年の時と何ら変化なし。

★ダバダTime:
 コーヒーが飲みたくなると皆で「ダバダー、ダーバー♪」と歌い出す。オプションで「宮本亜門は知っている」。

★観測
 今日もガンガン晴れているので、観測もばっちり!

★夜明けのインスタントラーメン:
 観測も終わったA.M. 4:00。皆もごそごそと就寝の準備にとりかかる中、なぜか異常な空腹感を覚えた私は、先日購入したインスタントラーメンを作りはじめてしまった。いい忘れたが、ここのキッチンの電熱器は異常に出力が弱く、全然沸騰しない。おかげで沸騰して3分のはずが、20分くらいしてようやくふやけた。おまけに水道の塩分でよけいなフレーバーがついてしまって、なんとも言えない味わいだった。眠さとまずさの中で夜が明けていった。。。


1994年1月11日
 Marreeでの滞在は皆に精神的な潤いを与えたものの、肉体的には深刻なダメージを残したようだ。やはり1日中塩漬けの生活には耐えられなかったようだ。もはや皆の求めているものは、まともな飯と真水のシャワーだけであるようだった。

観測の疲れからか、たやすく魔法にかかる。。。。。。。。。。

 気がつくとそこは露天掘りだった。つまり鉄鉱石かなにかの露天掘りの採掘現場だった。どういういきさつでここに来たかは知らないが、おおかた物好きなあの人が、「おっ。おもしろそーじゃん。いってみよーぜ。」とでも言い出したのだろう。しかし私も露天掘りを見るのは初めてだったので、なかなか興味深かった。

★Frinders Range National Park
 ようやくFrinders Range National Parkに到着。宿泊地としてWilpinaを選択(実際にはもう少し離れたことろ)。とりあえずシャワーをあびて塩まみれの体を洗い流す。お湯を沸かしてコーヒーを煎れる。ゆっくりと味わうようにして飲む(ダバダー♪)。思わずMarreeでの2日間を思いだして涙をこらえる。ようやく生きて帰れました!

★Frinders Range N.P.について
 一見なにもないところ(またかー)。Marreeについては究極的になにもないところだったが、ここは単に田舎という感じ。同じNational Parkでも、Grampiansはかなり盛りだくさんという感じだったが、それと比べるとFrinders Rangeはちょっと物足りないか?それでもいろいろと見るところはあるので楽しみだ。


1994年1月12日
 買い出しを済ませていよいよFrinders Rangeを攻めるぜ!っと思ったらいきなりパンクだぁー!!!どうやらあまりの暑さにタイヤチューブがとけてしまったらしい。とにかくタイヤ交換して走れるようにはなったが、危険なのでスペアタイヤをHawkerまで買いに行くはめになった。

 気を取り直して出発する。どこぞのLookoutで止まってFrinders Rangeを一望する。

★Black Gap
(あまり憶えてない)

★Wangara Lookout
 Wilpina Poundが一望できるWangara Lookoutへ行く。数キロのトレッキングコース。意外と疲れた。しかしあとで皆の写真を見てみると、皆カメラを構えて写真を撮っている姿ばかり。あぁ。悲しき日本人。。。


1994年1月13日
 今日はかなり盛りだくさん。

★Mt. Pupert(?)
 なんてことはない小高い丘。自動車でまっすぐ上まで登れる。ビデオを撮ってておいていかれそうになった。

★Aroona Ruins
 いわゆる廃虚。実はここに行くまでの道が山あり川ありで、結構スリリング。ここにはなぞのキャンパーが来てた。

★Freat Wall of China
 読んで字のごとく万里の長城。山の尾根づたいに石がむき出しになっており、本当に万里の長城みたいだった。

★Strokes Hill Lookout(?)
 小さな花が咲いていた。

★Sacred Canyon
 ここは結構おもしろかった。切り立った渓谷にほんのわずかの水が流れている。

★Seinic Fright
 今回は念願のSeinic Frightに初挑戦!前回(Ayers Rock)では時間と金がなかったので見送ったが、これが非常に心残りだった。今回ばかりは皆乗り気だった。30分程度のフライトだったが、フィルムを36枚撮りを2本も使ってしまった。


1994年1月14日
 荷物を送るための箱を郵便局まで買いに行ったが、なんとそこには小さいサイズの箱しか置いてなかった!で、結局Pt.Augustaまで買い出しに行くはめになった。ここでもJ氏は魔法を使っていた。。。

★観測について
 ここでの観測もすばらしかったが、夜空の素晴らしさではMarreeには届かないか。光害があるわけではないのだが、Marreeほど乾燥していないせいか、ほんの少し霞んでみえる。まあそれでも日本の空とは比べ物にならないけどね。それにしても公衆電話に群がる虫の大群はすごかった。


1994年1月15日
 Frinders Rangeを離れて最後の観光ポイントBarossa Valleyへと向かう。帰り際にFrinders Rangeの看板のある所で、いつもの「2001年宇宙の旅」をやる。看板等のなんらかのモニュメントの前で、骨の代わりに木の枝を空に放り投げたりする儀式。

 途中でまたパンクしてしまった。まったくCut Priceは名前通りのレンタカーだ。

★Barossa Valley
 ここはオーストラリア産ワインの産地。今回のツアーでは初めて町らしい町に行き、いわゆる普通の観光らしい観光となった。ワインの産地に行くとどこでもそうだがとにかく安い!冗談ではなく水より安い値段で売っているのである。しかもおいしいワインも多いので、ごっそり買って持って帰りたかったが、税関の制限があるのでそういうわけにもいかなかった。うーん、たった2本だけなんて少なすぎる。

 夕食は豪勢(?)にレストラン(1913 BITRO & GRILL)へ。我々の旅行にしては珍しく食事に金をかけてしまった。しかしたまにはこういうのもいいもんです。せっかく旅行にきてるんだしね!


1994年1月16日
 いよいよ今回の旅行も終わりに近づいてきた。今日はもう既に最後の観光地を離れ、Adelaideへと向かう。途中Barossa Valleyが一望できる小高い丘へで車を停める。天気が悪く霧が立ち込めている。もうここらへんはMarreeとはおお違いだ。

 なぜか途中で機械の博物館へと立ち寄る。車、飛行機などいろいろな機械が置いてあった。ワイナリーへよってお土産のワインを買う。

★The Whispering Wall
 なんのことかと思ったら大きなダムだった。しかしこのダム、上から見ると円弧状になっており、なんとダムの一方の端からささやいた声が、もう一方の端にいる人に聞こえるというのだ。早速試してみるとたしかに聞こえる。

★土産物屋
 べつになんてことはないのだが、道路から見える大きな木馬に惹かれて、思わず停まってしまった。といってもばかにしてはいけない。この木馬、なんと高さ10mはあろうかというものなのだ。皆で上に登ってはしゃいでいた。むじゃきなもんだ。

★Adelaide
 ついに我々の旅も終わってしまった。もうあとはホテルの中で荷物の整理で大忙し。とにかくものすごい量だった。


1994年1月17日
 この日のことで憶えているのは、郵便局での荷物の送付が大変だったことだけだ。望遠鏡専用の緑ケースが重量オーバーしてしまい、慌てて鉄のプレートを抜き取ってかばんにつめたり。。。とにかく大変だった。

 なにはともあれ、とにかく無事に今回のツアーも終了。総論としては、前半はおもいっきり観光して、後半はおもいっきり観測できた充実した旅行だったと思う。さよならオーストラリア。


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