オーストラリア旅行記 1-2


■3月6日(バスの中)
 ひたすらNullarbor plainを進む。何もない。風景は全然変わらない。
ディンゴとラクダを見る。溜まったスケッチの仕上げをする。昼寝する。


■3月7日(ウーメラへ)
 Adelaide着。AVISレンタカーまで歩いていって、車を借りる。Adelaideから内陸部を目指す。Adelaideからは、Stuart HWYを北上して、Alice Springsに向かう予定である。

 あれは確か、Port Augusta付近だったと思うが、ヒッチハイクしている人が目立った。その中に、"TO PERTH"と書いた紙を持っていた人もいた。バスで二泊三日かかる道のりをヒッチハイクしようという行動力と勇気は、はっきり言って脱帽ものです。

 Port AugustaでHungry Jack'sというハンバーガーショップで昼食を取る。この町で夕食用に食料品・調味料・ジュースなどを購入する。ただし、ジュースと思いこんで買ったものは、cordialといってアルコールに混ぜて飲むもので、(リキュールとかいうやつ)そのため、ものすごく味が濃い。ちょっと飲んでは水を足すといったことをしていたため、再びAdelaideに戻ってくるまで残っていた。

 ついでに醤油も買った。

 Woomeraに向かう途中、Dingoの群を見る。Dingoは、犬を狼に似せたような動物で、いかにも獰猛な感じがする。あんなのが束になって、夜中テントをおそってきたらたまったものではない。ついでに無数の小さな竜巻を見る。

 WoomeraのELDOというモーテル泊。 ELDOの駐車場で買ってきた肉を焼く。Woomeraで観測中に現地の人と歓談する この日は、23時頃から観測を始める。アッキーさんは睡眠不足と疲労のため寝ることにした。観測の用意をしていると、一台の車が近づいてきた。3(4人?)の男たちがでてきて、おきまりのように、きさくに話しかけてくる。そして、今回も訛りのきつい英語であった。我々が星を見ていることを知ると、彼らも話に乗ってきた。彼らによると、オリオン座の三ツ星と小三ツ星を結んでsource pan、とも座あたりにSeven sistersと呼ばれる星があるというのだ。残念ながら、Seven sistersが具体的にどの星だったのかはわからないままだった。われわれも、オリオン座は、日本では逆さまに見えるのだということを教えてあげた。とても不思議がっていたのを覚えている。


■3月8日(マーラへ)
 2時間睡眠で出発。リュウノスケは間違えてノブマサオヤジの分のパンを食べてしまう。その後、ノブマサオヤジにねちねちと責められる。食べ物のうらみは恐ろしい。

 Woomeraを発ち、Cooper Pedyという小さい町に着いた。ここは、オパールと地下居住が有名で、あちこちに"OPAL"、"Under Ground ..."と書いてある。地下ある店など、日本でもそこらじゅうにあるわけだが、ここの店はちょっと違っていて、オパールを掘り起こした後だと思うのだが、それをちょっと整形しただけで、壁は岩盤がむきだしのまま住んでいる。この町にはアボリジニーらしい黒人がたくさん目に付くのだが、店で働いているのはみな白人であった。

 Coober Pedyのオパール鉱の中にはいる。ここでアッキーがノブマサオヤジのカメラのソフトケースを紛失する。

 Coober Pedyのスーパーでリュウノスケは木製の「ねずみ取り」を買った。町のインフォメーション板の前でたむろしていると、国籍不明のおっちゃんがオパールを売りに近寄ってきた。いらないとごねたものの、結局5個でAU$20と安かったので買ってしまう。昼食はCoober Pedyでハンバーガー。

 あまりに暑いのでノブマサオヤジはMarlaのスーパーで半パンを買う。しかし、情けないことにサイズは小さかった。

 今晩は、Marlaで宿をとることにした。泊まったところは、ごくふつうのcalavan parkで、芝生とユーカリらしい木が周りに植えてあった。スプリンクラーが激しく水をまいていた。テントを張り、豪勢な夕食をとった。

 しばらくすると、突然、風が強くなってきて、雷が鳴った。ときおりものすごい稲妻が走った。あまりにも風が激しかったので、テントが飛ばされるかと思った

 この嵐は、一時間ほど続いただろうか、だんだん風も弱くなり、だんだんスプリンクラーの水音がはっきりしてきた。かすかな雲の切れ目から南十字星が輝いているのが見えた。我々にとって、ささやかな愛の手であった。しかし、その甲斐もむなしく、みんなはあまりにもの疲労で観測する気配がなかった。 リュウノスケは一人で朝までスケッチ。オーストラリアでは薄明が短い。東の空が明るくても西は暗いままでコールサックも良く見える。朝の7:00頃まで天の川が見えていた。

 朝も全然寒くない。やはり南氷洋岸とは大違いだ。ちなみにこの日の最高気温は39℃。最低気温は24℃。


■3月9日(ユララへ)
 朝食には、コーンがゴロゴロ入ったスープ。テントを片づけ、Ayers Rockへ向けて出発した。途中、見える景色は相変わらずの赤茶けた土と薄汚い植物。ときどき、牛の死骸やタイヤのバースとした後の残骸が転がっている。

 10:50、South Australia州とNorthern Teritorry州との州境に来た。そのには、「ようこそN.T.へ」というような内容とN.T.州のシンボルマークが書いた看板があるだけだった。N.T.州にはこれで2度立ち入ることになるが、先はDarwinで亜熱帯性気候、今度はステップ気候と気候も植生も違うので、同じ州に来たという印象はほとんど感じなかった。

 さらに北上すると、「ニセ・エアーズロック」が見える。その名をMt. Connorという。本物とは違って、妙に角張っており灰皿を逆さまにしたような形をしている。しかし、巨大なことは本物と同様である。

 N.T.時間午前11時頃、Ayers Rockの天辺が見えた。思わず「見えた!」と声にした。だんだん近づくに連れ、大きく見えてきた。僕らがちっぽけな存在に見えてきた。実際に見ると写真よりも荘厳な姿だ。

 Ayers Rockがあるのが、ULURU国立公園。ホテル等宿泊施設があるところがYULARA公園という。ULURUという名前は、Ayers Rockという名前がつく前に、アボリジニーによって名付けられたそうである。

 昼食は、ハンバーガーショップにて。Rock Burgerというのを食べた。赤カブからしたたる赤い汁がうっとおしかったのを覚えている。昼食の後、観測場所とAyers Rockの下見に出かけた。

 しかし、なにしろこの付近は蝿が多い。特にノブマサオヤジの鞄とアッキーの顔が蝿のお好みらしく、びっしりくっついていた。

 あるview pointに行ったとき一つの看板が目に付いた。そこには、どうやら「Ayers Rockは世界最大の一枚岩ではない」らしいことが書いてあったのだが、われわれの語学力が今一つ確かでなかったのと、なんとなく怪しそうだったので、100%信じてはいない。しかし、未だに謎に包まれたままである。(その後、最大の一枚岩はW.A.にあるMt. Augustsということが判った。)

 また、sunset viewというところがあって、そこから見るAyers Rockの景色は、年に2・3度真っ赤に染まるらしい。そのイベントに我々は遭遇できるのであろうか?

 この日は、プールに入ったりしてのんびり夕方を待つ。しかし、いざ観測を始めると、30分もかけて極軸合わせをしたにも関わらず、今一つ透明度が悪いのと、時折空中放電らしき光がピカピカ見えてきた。結局、何にも観測できないうちに片づける羽目になってしまった。

 なお、アッキーはこの日コンタクトレンズを無くす。


■3月10日(エアーズロック)
 本日は、Ayers Rockに登った。朝8:00に出発したのであるが、Ayers Rockに来る前のどこかのガソリンスタンドのおばさんから、「朝早い方がいい」と聞いたのを思い出し、ちょっとしまったと思った。

 登山料は当時$5。はじめの方は、岩盤の急な部分が多いので、鎖が打ってあった。気をつけないと転がり落ちるようなところである。この急な坂と暑さはさすがにこたえた。頂上が見えているにも関わらず、アップダウンが続いているので長く感じた。

 しかし、ドイツゲルマン民族はちょっと違う。さすがワンダーフォーゲル発祥の地。毎晩、集まってビールで大騒ぎしているくせに、朝から歌なんか歌いながら軽快にAyers Rockを登ってゆく。恐ろしい。

 頂上でノブマサオヤジを待つが、がなかなか来なかった。氏の話によると途中でゲロ吐いていたとか。しかし、登頂したときの気分はなんともいえないものがある。ちょっとばかし、登山家の気持ちが分かったような気がする。

 やはり、このあたりは乾燥しているのか、空の色が違う。ここの空の色は濃い。地平線近くでも日本の天頂より濃い。

 この後、アボリジニーの描いた絵と雨が降ると滝になるというところに行った。アボリジニーの描いた絵は、渦巻きが多かったが何を表していたのかはよくわからなかった。

 洗濯をした。しかしながら液体洗剤と思って買ったモノは漂白剤であった。ノブマサオヤジのティーシャツとコウズィのジーパンが白くなる。間違えたリュウノスケが弁償するはめになった。

 この日もsunset viewに行った。天気は良くなかったが、Ayers Rockに虹が架かっていた。そうこうしているうちに、ますます天気が悪くなり、ついに大粒の雨が降りだした。昼間に見に行った、滝になるとかいうところに行った。残念ながら、雨量が足りなかったため滝を見ることはなかった。

 ここで、Working Holiday visaで来ていた女の子にあった。彼女は2・3ヶ月前からAyers Rock周辺に来ていたのだが、雨を体験したのがその日が初めてだそうだ。彼女は「ラッキーですね」と言ってくれたが、天体観測を目的としていた我々にとっては、何とも言いがたい複雑な気分だった。

 その後、シャワーを浴びたのだが、ムカデがやまのようにやってきて、足にまで登ってくる。気づいた時にはふくらはぎ。ちょっと青くなった。シャンプーで撃退する。


■3月11日(ユララ2日間)
 計画では、この日ここを発つはずだったのだが、快適であったこと、Alice Springsに行くメリットも感じられなかったので、もう一晩ここにいることにした。

 昼間、Mt. Olgaの麓を散策する。リュウノスケだけは体力が余っていたので、午後にAyers Rock一周ハイキングに出かける。11kmの砂地。しかも蝿多し。しかし、なかなか楽しめる。

 夕方には、3度目の挑戦でsunset viewに足を運んだ。しかし、虹がかかっているのが見えたぐらいであるから天気は優れない。日の入りまで最後の望みをかけた。もう日が沈んであきらめかかったとき、突然Ayers Rockが真っ赤に染まった。ほんの1分ぐらいの間であったが、確かに赤く染まった。その日、YULARAに泊まって正解だった。

 1.5kgのミンチをハンバーグにして夕食。その後、2日続けての雨が降った。その日のはなかなか止みそうにない。それどころか、どんどん大粒の雨になっていった。23時頃であろうか、2人の女の人が我々のオンサイトバンに転がり込んできた。

 Vancouver出身のKellyさんとTexas出身のSofiaさんである。彼女らは、キャンプをしていたそうだが、この豪雨でテントが倒れてしまったらしい。二人は、カリフォルニアの大学で知り合って、卒業旅行でオーストラリアに来たそうだ。旅のことについていろいろ話をした。Ayers Rockに来て雨に合うというのは「ラッキー」だと言うと、とんでもないという顔をして、自分たちのことを雨女だとも言ってた。彼女たちは、これからCooper Pedyに行き、6月までオーストラリアにいるそうだが、いったいこの後、どういう旅をしたのだろうか?


■3月12日(アデレードへ)
 昨夜の2人と分かれた後、我々は再度Ayers Rockへ行った。雲のかかったAyers Rockを眺めて、爆走開始。彼女達と同じように、我々もCooper Pedyへ向かう。この日もこりずに雨が降っている。ステップ気候だというのに3日も雨が降り続いている。我々はよっぽどラッキーだったのだろう。延々と続く地平線、見渡す限りの砂漠、それと同じように分厚い雲が続いている。ふつうの日本人ならうんざりするもんです。

 Cooper Pedyについて夕食をとった。ピザを食べることにしたのだが、なんとこのピザ、目の前で作ってくれた。パンの生地をぐるぐる回していた。

 本当なら、ここで宿をとることになっていたのだが、我々は先を急いでAdelaideまで夜間走行することにした。カンガルー飛びだしで危険な夜間走行。


■3月13日(アデレード観光)
 約19時間の爆走の結果、朝9:30頃Aderaideに着いた。なんと、
1600km一気に移動

 ここAdelaideは、Yularaのような砂漠とは違って、ヨーロッパの町を思わせる。赤茶けた土がついたTシャツはもう通用しない。

 この日の宿探しは苦労した。安いドミトリーは当然のごとく満室。あれこれ歩き回って、メトロポリタンホテル名前のホテルを見つけた。部屋の中までヨーロッパを思わせるような作りだった。

 昼間はAdelaide観光に乗り出す。公園で巨大なまつかさを見つけて、みんなで大喜び。ノブマサオヤジはこっそり日本へ郵送するという危険までおかして、持ち帰った。(動植物の持ち込み持ち出しは厳禁。)

 アデレードでの夕食はインドネシア料理と言う名の中華料理。ところが、我々が想像している中華料理屋とは何かが違う。メニューには確かに"Chinese..."と書いてあったが、店の雰囲気はいかにもマレーシアの華僑という感じであった。実はこの店の店長は、マレーシア人。とてもきさくな人だった。料理は僕ら日本人には今一つあわない。でも、久しぶりに米を食べられて嬉しかった。

 本日のメインイベントは、Adelaideの夜景を見ることであった。パーキングをでるとき、そこのおじさんがいろいろアドバイスしてくれた。日本人観光客が多いWindy point lookoutよりもベターな場所を教えてくれた。Nortonというところで、先のview pointよりも標高が高く、眺めがいいそうだ。

 さて、Nortonめざして出発した。山を少しずつ登るに連れて、ときおりわずかに見える夜景がだんだん美しさを増していった。しかし、これといって見晴らしのいいところが見あたらない。パーキングのおじさんが言ったところは、いったいどこにあるのだろうか?ともかく、どこでもいいから見晴らしのいいところを探し求めた。すると、とうとうそれらしいところを見つけた。Mt. Loftyというところだった。Adelaideの夜景はさすがにきれいだった。街灯がずらりと並んでいて、クリスマスツリーのイルミネーションを思わせるものがあった。


■3月14日(スモーキーリバーへ)
 ついにタイヤがパンク。始めての修理。まあ、砂漠のどまんなかとかじゃなくて良かった。良かった。その後、昼食。砂浜でチキンの丸焼きを食べているとカモメがよってくる。それはそれは、砂漠地帯の蝿のようにたくさん。まさに「ヒッチコック」ワールド。

 Mt. Gambierで火口湖を眺めて、すっかりくつろいだ後、Smokey RiverというところでOn site vanを借りる。晴れ間を見て、観測態勢に入るが、すぐにベタ曇り。

 そろそろ東海岸に入るし、月の具合からも、観測は終わりに近づいている。ここで、帰国時に中国に寄るのをやめて、オーストラリアに居残り、再度新月を待って観測するという案が浮上してくる。


■3月15日(メルボルンへ)
 Great Ocean Roadを疾走する。London Bridgeを眺めたりする(今はもう落ちて、ないらしい)。The Twelbe Apostlesもよい感じだ。

 Melbourne市内のKings Gate Hotelに宿を定めて、トルコ料理のレストランへ。頼みすぎて大量に来てしまい、必死で食う。


■3月16日(メルボルン観光、フィリップ島)
 メルボルンを観光。メルボルン市内には
車の2段階右折があったりして、非常に珍しい。教会を眺めたり、市場をうろついたりする。市場の駐車場にはポルシェのバンパーとリアウイングを装着したフォルクスワーゲンが駐車してあった。これがオーストラリア流のギャグなんだろうか?車検とか無いんだろうな。

 フィリップ島への道中ミミズの形をした建物を見た。どうやらミミズ関係の博物館らしい。オーストラリアまで来てミミズ見てもしかたないので、無視して通過。

 フィリップ島ではまずコアラの保護区に行く。うーん。どこをどうみても普通の林である。サーベイ開始!すると結構イルイル。ネテルネテル。ウゴカナイウゴカナイ。日本人のハネームーナーがやってきて、動かそうとコアラの居る木を叩く。目を疑う。

 ペンギンパレードをわくわくしながら待つ。しばらくすると、1羽がチョコチョコと浜辺を上陸してくる。ちょっと遠い所だ。残念。と思っていると、しばらくして、来るわ来るわ。浜辺のあちこちで群をなして上陸してくる。人間なんて全然気にしない。手の届くような所を通り過ぎてゆく。アッキィはここぞとばかりにISO3200のフィルムで撮りまくる。

 それにしても、バカ日本人多し。「立ち上がらないで下さい。ストロボは使わないで下さい」と日本語で説明してくれているのに、立ち上がってストロボを使って写真とりまくり。しかも30分もすると、「はーい、終わりですー」と、言われて帰ってゆく。バーカ。その後、どんどんペンギン増えていったのに。

 フィリップ島からセールへの道中の夕食は、閉店間際の品数の少ない店で買ったハンバーガー。店の兄ちゃんに「Australiaを車で旅行している。」と言ったら、「Australianの自分でもあんまり色々なところに行っていないのに。」と言っていた。 

 夜間、Saleまで移動。


■3月17日(キャンベラへ)
 キャンベラ。ここCanberraは、Australiaの首都であることから、Australian Capital Territoryという特別区にある。もともとは、首都をMelbourneかSydneyのどちらかにするか決めかねていたらしくて、それらの間にある町ということで、白羽の矢が当たったのだそうだ。車で移動していると、うっかりすればそうと気がつかないうちに通り過ぎてしまうぐらい小さい町である。町中でもオウム(インコではない。オウム。)が
群をなして飛び回っている

 宿泊は、ここのあるキャラバンパークに泊まった。そこで、2人の日本人男女と出会う。彼らは、僕らよりももっと長期旅行をしていた。もともとは、あかの他人同士だったのだが、旅の途中で知り合って以来、ずっと2人で行動をともにしているとか。

 彼らは、かなり旅慣れているようで、いささか癖はあるようだが、貧乏旅行のツボをよく押さえていたように思う。その一つを披露すると・・・

 キャラバンパークよっては、簡単に車の出入りができてしまうところがある。そういうところに限って、いちいち誰がどこにどれだけのテントを張ったかなどということも管理していない。こっそり進入して、こっそりテント張って、朝早くこっそり出ていくのだそうだ。そうして、テント張り逃げして、宿代を浮かすことも多々あるのだという。そう言い残して、ここでもきっちり張り逃げをして行った。


■3月18日(シドニーへ)
 Caravan Parkを出てからは、Canberra市内を見学した。国会議事堂、戦争記念館、Burley Griffin湖。国会議事堂には、Australiaの歴史、経済、政治を説明した展示コーナーがあったため、素人目には、そこで行政が行われていると言うよりは博物館のように思えた。Canberraの印象としては、とにかく美しいことである。特に、国会議事堂から見える、Commonwealth ave.、Vernon circleの景色は芸術に値するものを感じさせる。

 ちょうどその日、首都のどまんなかの池で「鳥人間コンテスト」が行われていた。我々もオーストラリアンに倣って、芝生に寝ころんで眺める。しかし、我々の見る限り、全ての人はそのまま池に落ちているだけだった。レベル低い。単なる仮装飛び込みだ。でも、楽しそう。

 その後、Sydneyを目指して夜間走行。結局、道に迷ったり、目的地を変更したりしてKatoombaに付く。そのまま、車の中で寝てしまう。


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