オーストラリア旅行記 1-1


 この記録は1989年のAustralia Tour日記(Title「南極星」)をもとに、記述されていない部分を中心に、薄れかけている記憶を可能な限り引き出したものである。


■参加メンバー
  ノブマサオヤジ(23歳)、リュウノスケ(21歳)、アッキー(21歳)、コウズィ(19歳)


 計画初期段階においては、ノブマサオヤジとリュウノスケの2人が1988年の春に二人っきりで行く予定であった。しかし、1987秋に二人とも
交通事故で車を壊し、資金面からの問題から、1年遅れの実行とあいなった。

 旅行の直接の動機はノブマサオヤジが「南十字星を求めて」(誠文堂新光社、1981)に触発されたことによる。この本は関西学院大学の学生がニュージーランドで観測を行った内容であったが、当時の航空運賃が40万円。とてもじゃないが貧乏学生には無理ってもんだった。しかしながら、その後の円高などで、航空運賃も急落(今に比べれば高いが)。なんとかバイト代をためて行けないことはないレベルまで下がってきたのである。(キャセイパシフックとロイヤルブルネイ併用、伊丹−ダーウィン往復、159000円)

 一方、我々が所属した某大学の天文系サークルでは、「より暗い対象を!」「より南の対象を!」「見れそうなモノは全部見てやる!」というノリが流行していて、南天の対象を是非見てみたいという人が少なくとも4人は居たわけだ。

 という、「見たい人」と「行く方法」がそろって、「いっちょ、行くか。」となったのだ。


■使用観測機材
 そもそも、今回の旅の目的は、「南天観測」にある。大小マゼラン雲、南十字星、ηカリーナ等、日本から見えなくて、とても興味のある天体がオーストラリアにはたくさんある。個人的な興味、対象とする天体によって、それらを料理する方法が異なってくるのだが、今回は、各個人が以下のような観測をすることになった。

 しかしながら、学生寮の一室(アッキーの部屋)を占拠して設けられた出発準備ルームにおいて、出発前夜パッキングを行ったのだが、この結果は預け荷物一人当たり20kg×4人=80kgをオーバーするものだった。しかたなく、リュウノスケはシステム80型赤道儀を放棄し、カメラ用三脚にアトムの微動雲台を乗せ、そこにC8を乗せるという、アクロバティックな使用方法を選択することとなった。

 また、これらの荷物を運搬する為に、日本酒やビール用のケースを加工して2つの箱を自作したのだが、そのうち1つは置いていくことになった。で、C8を手荷物として、機内に持ち込むという荒技で臨むことになった。しかし、後から考えると、持ち込む際に望遠鏡の説明に少々手間取ったりするが、ダメならダメで、預かってくれるし、精密機器だを念をおせばスチュワーデスのネーチャンがそれなりに優しく扱ってくれるので、なかなかイイテだ。


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│ 氏名     │ 観測方法     │      観測機材、方法     │
├────────┼──────────┼──────────────────┤
│ノブマサオヤジ │ 写真(直焦点)  │ハイパーポライドカメラε−130  │
│        │          │高橋製作所製P2(赤道儀)     │
│        │          │一眼レフ2台(OMー1)、レンズ3本│
│        │          │ガイド鏡              │
├────────┼──────────┼──────────────────┤
│リュウノスケ  │ スケッチ     │セレストロンC8、スケッチ     │
│        │          │高橋製作所システム80型赤道儀   │
│        │          │一眼レフ1台            │
├────────┼──────────┼──────────────────┤
│アッキー    │          │一眼レフ1台            │
├────────┼──────────┼──────────────────┤
│コウズィ    │ 写真(星野)   │ PENTAX67、NIKON F │
└────────┴──────────┴──────────────────┘


■出発までのこと  (旅は出発前から)
 旅に出かけるには、当然「どこへいくか?」ということを厳密でないにしても、ある程度は考えるものである。ガイドブックを見、地図を広げ、「あ〜でもない」「こ〜でもない」と頭を痛めながら、旅のコース、日程、移動手段を決めていくのだ。なにしろ国内線は非常に高いので、バスとレンタカーの併用が難しい。さらにと観測機材の持ち運びと観光地の選択が絡んでくる。今回のツアーでは一晩徹夜して、あらかたのコースを決めた。

 その結果とは・・・Darwin→Perth→Adelaide→Yulara→Adelaide→Melbourne→Canberra→Sydney→Brisbane→Townsville→Darwinと、恐ろしいことに、日本の26倍?の面積を持つ国土を高々一ヶ月でほぼ一周していることになった。初めてということもあって、いろいろと欲張ってしまった。


■2月26日(出国の日)
 いよいよ日本を発つ日がやってきた。空港に面子がそろったのはいいが、コウズィとアッキーは作った箱の一つがないとこに驚く。昨晩、土壇場になって持って行けそうにないと判断しおいていくことにしたのを空港で初めて知ったわけだ。

 ところで、持っていく方の箱であるが、そこにはノブマサオヤジのε-130が入っているが、やけに派手な緑色をしていて、異様に目立った。この箱、この後のオーストラリアツアーでも度々登場することになるが、なにしろどこでも目立つ。預け荷物が空港で出てくるのを待つ時、非常に便利だ。

 さて、1ヶ月のAustraliaの長旅が始まる。なにしろ飛行機や空港が珍しくてしかたがない。シートの周りのスイッチをいじり回してスチュワーデスに怒られたり、カイタック空港をやたらと無駄にうろついたりした。余談になるが、ボーディングパス発行の際に、コウズィのチケットが一枚余分に引きちぎられて、後で揉めることになるが、そんなちょっとしたトラブルにもびびりまくっていた覚えがある。

 ロイヤルブルネイに乗り込むときにカノープス(日本では見るのが難しく、老人星と呼ばれる)が高く輝いているのが印象に残った。その後、機内では窓から見える南天の星空を巡って、幼稚園児レベルの窓際席の奪い合いが続いた。ちなみにロイヤルブルネイに乗る機会のある人は少ないでしょうが(今はなんと関空に乗り入れてる)、その機内食がまた、なんとも。まず、フルーツが山盛りでて、その後、油っぽいドリアなんか出ちゃったりする。要注意!



■2月27日(Darwin市内一日観光)
 Darwin International Airportはやたらと滑走路だけ立派で、ターミナルビルは「ビル」じゃない!平屋、いや、
ほったてごやレベルだ。力が抜ける。さらに滑走路をとぼとぼ歩いていって、「ビル」内で見たのは、やたらと高くて白っぽい天井で、ゆるゆると回る無数の扇風機だった。誰かがポツリとひとこと、「エアコン無いね。」

 Darwinに到着は未明だった。熱帯の朝焼けをDarwin Airportでの入国審査後にみる。きれいなオレンジ色と熱帯性植物とのコントラストの美しさ。自然の宝庫、オーストラリアの第1ページである。Shuttle Bus(後ろに牽引車をつけており大きな荷物はそこに置く)でDarwin市街へ移動

 宿泊先は、Darwin市街にあるFour Seasons(航空券付属)という、四ツ星ホテルである。そこまで、Shuttle Busで行った。ホテルに着くと、何かの手違いで、予約者リストに名前はなかったものの泊まることはできた。

 日本で予約だけ入れ、チケットが取れているのかどうかわからなかったDarwin→PerthのAustralian航空のチケット受取や(Australian航空のチケットが万が一確保されなかった場合、我々はバスでPerthまで行こうとさえ言っていた。ちなみにチケット代はAU$436。)Northern Teritoryの情報収集のため、蒸し暑いDarwin市内を歩き回る。市内にはMAZDA 626(Capella)が異常に多かった(日本と異なる特徴としては、リアのサンシェード、ステアリングとシートにムートンのカバー付き、フロントの大型バンパー、そして圧倒的に5DrHBが多いこと)。

 昼食はモールにある中国系のChoku氏のTake Away店できし緬のようなものを食べた。ここで、中国語訛りのオーストラリア英語に悩まされるのであった。飲食料の支払いの時に、彼はしきりに「パイパー」と言う。我々は何のことやらさっぱりわからなかったのだが、これは"paper"(紙幣)のことで、aの発音が「アイ」に訛っていたのだ。その後もしばしばオーストラリア訛りの英語に悩まされるのであった。

 食後、アラフラ海を見に行く。きれい。そこで蜃気楼を眺めていると、海上に真っ黒な雲とその下に斜線が。しかもこっちに向かっている。スコールだ。傘なんか当然持っていない我々はあわててホテルに帰った。

 夕食はMaharajaというレストランで初めて本物のインド料理を口にする。辛いのなんの。リュウノスケはカリーだけを頼んで食べていたので店員が気をきかせて、Boiled Riceのオーダーを取ることを勧めてくれた。AustraliaのBeerにも初めてチャレンジ、アルコール分が高いことを実感した。

 夕食後、FourSeasonsまでの夜道を歩いたが、熱帯性の雲に阻まれて南天の星々ははっきりと見ることができなかった。


■2月28日(パースへの移動)
 FourSeasonsからタクシーでAirPortへ移動。Darwin→Alice Springs→Adelaide→Perthと移動する。その際、我々はAlice Springsに着陸することを知らず、少々慌てた。Alice Springsの空港で一旦機外に出たが、目にしたものは強烈な直射日光と数多くの小型竜巻で、Australia内陸部乾燥地帯のすさまじさを実感した。

 Alice Springs→Adelaideの移動中、Lake Eyreの上空を通過。真白である。かつ巨大である。地図を広げていた私の隣に座っていたAustralianが、その白く巨大なものがEyre湖であることを教えてくれた。湖といっても水はない。塩の溜まった平地だ。記録によると有史以来4回しか溜まったことは無いそうだ。機上からの視界に入ってから消えていくまでに1時間ぐらいかかったような気がする。(当時の日記を見るとEyre湖周辺の緑を見て「羊の放牧地と思われる。」とあるが、とんでもない勘違いであったようだ。)

 Adelaide空港着陸の際に、Adelaideの住宅の屋根がほとんどすべて茶色であったことが今でも印象に残っている。

 Adelaide空港でPerth行きの便に乗り換えたが、余裕でチンタラチンタラと歩いて搭乗機に向かった我々が、その便に乗り込んだ最後の乗客であった。

 Perthへ向かう途中、ほとんど私は寝ていたような気がするが、西に向かって飛ぶ飛行機の窓から見える沈みかけの太陽が(なかなか沈まない)まぶしかったことを記憶している。

 Perth空港に着いたときは、辺りには夜の帳が降りていた。さっそく宿泊先を選定しなければならない。明るいうちならば、色々なところを当たることもできたのだが、時間も遅くリスキーなことはしたくなかった。そこで・・・・。

ノブマサオヤジ『電話で泊まれるかどうか確認して行った方が無難やで。』
       (内心、誰かが電話してくれることを期待している。)
リュウノスケ『その方がいいと思います。』
      (内心、ノブマサオヤジが電話してくれるものと思っている。)
アッキー『そーですねー。』(同上)
コウズィ『・・・・・』(明らかに巻き込まれるのを避けている。)

 結局、ノブマサオヤジが電話で英会話することになった。緊張したものの何とかコミュニケーションもとれ、Pacific Motelを押さえることができた。

 タクシーに乗ってPacific Motelに着いたのち、我々は無性に喉が乾いた。その結果、ノブマサオヤジとリュウノスケが夜のPerthにジュースを買い求めてPacific Motelをあとにした。ちょっと歩けば自動販売機ぐらいあるだろうと思っていた我々の期待は見事に裏切られた。

 日本と違ってAustraliaの町中で自動販売機をみつけるのは、お店を見つけるよりもはるかに難しいことなのである。しかも夜もふけていたため開いている店などあろうはずもない。おかげでPacific MotelはPerthの中心街からかなり離れていたにもかかわらず、我々はジュースを求めてPerthの中心街まで歩いて行ってしまった。しかし、収穫は0であった。

 この時、街灯のない住宅街の歩道を歩いていると、足元からペキペキと物の割れる音がしてくる。

ノブマサオヤジ  『なんかの木の実が落ちてるんやろか?』
リュウノスケ   『なんでしょうねー?』

と、会話をしながらもノブマサオヤジはペキペキ音を楽しみながら歩いている。すると、おもむろにリュウノスケ氏は座り込んで地面をながめている。

リュウノスケ   『あー、わかった。』
ノブマサオヤジ  『なんや、なんや。』
リュウノスケ   『これ
カタツムリですよー。』

2人が踏んでいたのは木の実ではなく、カタツムリだったのである。かくしてこの夜、数多くのカタツムリがペキペキ音とともに天寿を全うした。

 この時、市街地内であるにもかかわらず、大マゼラン雲・小マゼラン雲をはっきりと夜空に確認することができたのを覚えている。

 なぜか、テレビで「ビッケ」をやっていた。ジャパニメーションのはしりか?


■3月1日(ピンナクルズへ)
 大量の荷物をPacific Motelに預けたまま、Perth市内のAVISレンタカーに車を借りに行く。例によって日本で予約だけはいれたものの、出発前には予約O.Kの確認がとれていなかった。この時、最初に出てきた女店員は「いきなり車はない」などと、とりつくしまもない。「事前の準備は大切だ。」と痛感する。しかし、他の店員が出てきて、実は予約はOKで、車も有ることが判明。「事前の準備なんか適当でも大丈夫。」と思い直す。

 Nambung National ParkのThe Pinnaclesへ向かう。某「地球の歩き方」にはLancelinから北上すれば良いと書いてあったので信用して前進すると、分岐点は判らないし、道は見る間に砂道となるはで、危うくスタックしてしまうところであった。結局、Route1(BRAND HWY)まで戻り、Cervantes経由でThe Pinnaclesへ向かう。(後日確認すると、地球の歩き方には、「cervantesから」と書いてました。実は、そのときナビをしていたコウズィのミスだった。)

 The Pinnacles少し手前の道で、始めて野生のエミュウを見る。Pinnaclesは、高さ数メートルはある岩の柱であるが、この近辺の砂丘に生息していた原生林が30,000年ほど前に石化したものらしい。これが、この近辺の砂漠一面にうわーっと広がっている。

 Cervantesのキャンピンググラウンドでテント泊。夕食は適当にスパゲッテイ。

 この日の晩が初めての観測となる。空がだんだん暗くなるに連れ、星の数がどんどん増えてくる。写真を撮るものにとっては、観測を始める前に極軸あわせという難題が待ちかまえている。

 まず、八分儀座の台形をなす5等級程度の暗い星を探すことから始まる。つづいて、それらを極軸望遠鏡上に正確に位置合わせするのだが、我々が持っていった赤道儀の極軸望遠鏡についているパターンは南天用にカスタマイズされたものではないため、どこにあわせるといいのかがなかなかわからない。しかし、そうも言っておれず、一時間ほどかけてノブマサオヤジが根性で合わせた。追尾精度は、初めての観測の割にはよかったと思う。

 しばらく観測していると、同じキャラバンパークに泊まっているアメリカ人がやってきた。氏は動物写真を撮るプロのカメラマンだそうだ。雑誌(もしかしてNational Geographic?)に載せるための写真を撮りに五ヶ月前にオーストラリアに来たらしい。カメラ機材には、CANON EOSと600mm望遠レンズ、それにPENTAX645を持っていた。

 天体写真にも興味を示したみたいで、ご自慢の600mm望遠レンズで天体写真を撮りたいと言だしたのだが、そのときの状況では、天体写真撮影に全く不向きであることをなかなかうまく伝えることができなかった。ただ、折角だから、ダメで元々でηCarinaeと月を撮った。

 観測の後、氏がおもしろい話をしてくれた。エミューは"unlogical"だというのだ。少し近づくと逃げるけど、もっと近づくとカメラに食らいついてくるらしい。この後、氏はDarwinに向かい、さらに七ヶ月間オーストラリアに滞在して写真をとり続けるそうだ。


■3月2日(ハイデンへ)
 Cervantesのキャンプ場で朝目覚めると、テントの周りに海鳥(カモメ?)が不気味なぐらいたくさん群がっていた。正確にいえば、群がった鳥の足音で目がさめた。

 Nambung National Parkを出発し、Route1(BRAND HWY)を南下中に最高速チャレンジをする。Ford Falcon 3.5l NAはATながらも太いトルクで加速は鋭く、100km/hはすぐに越えてしまう。なにもない道がただひたすらにまっすぐと延びている。制限速度は110km/h。あっというまにこれも越えてしまう。

 メーター読みで150〜160km/hまでいったところで、徐々に減速に入った。すると遥か彼方の左コーナーから車らしいものが見えた瞬間、その物体からパッシングを受けた。即座に、パトカー車載のレーダーに速度計測をされたことを本能的に悟った。さらなる減速に入った直後、その車の上に青色の回転灯がともった。案の定である。Australiaにまで来て、警察の御厄介である。罰金AU$115

 パトカーが我々の車のうしろに来るまでに、ノブマサオヤジは車外に出て警官がやってくるのを待った。オーストラリア人の性格なのだろうか、警官まで温厚な性格をしていた。いろいろ会話が弾んでいたように思う。

 リュウノスケが記念写真を撮ろうとした瞬間、一人の警官が手錠を取り出した。一瞬背筋が凍る思いをしたが、警官のジョークだった。どうやら、折角記念写真をとるんだったら手錠と一緒にという意味だったようだ。

 あまりに暑く足が蒸れかけていたのでNorthmanでサンダルを買う。Northmanで昼食を取る。

 Northamを発った後は、Hydenへ向かった。ここにも妙な形をした岩がある。その一つは、高さ15mほどの波の形をしたWave Rockである。見るからに「波」である。この波の上に登ることができる。はじめの方は、波の天辺から落ちないよう柵が設置されていたが、途中からなくなっている。柵のないところからは、地面を見おろすことができるのだが、やっぱり足がすくんでしまう。おっこちる前にあきらめたのは正解である。

 もう一つ妙な形をした岩がある。それは、Hippo's Yawnといって、ちょうどカバがあくびをしたときの口のかっこに似ている。我々は、このカバの口の中をうろうろした。

 近くのキャンプ場で観測の準備をするが、曇って中止。


■3月3日(スターリングレンジへ)
 Hydenを発った後、Albany方面へ向かう。途中、Stiling Range国立公園に立ち寄る。レンジャーにお勧めの山を教えてもらい、歩いて上る。歩き始めてから30分ぐらいたつとノブマサオヤジとコウズィはペースが落ちてきた。ついに、二人はリタイアしてしまった。リュウノスケとアッキーさんは相変わらずどんどん足をすすめToolbrunup peakに登頂した。緑が多くてなだらかな風景、なかなか気持ちよい。

 Porongurupsにあるロッジに泊まることにした。我々の宿泊施設の前に木が生えていた。何やら変な鳴き声が聞こえてきた。ワライカワセミだった。やかましかったけど、その鳴き声がとても愉快だったのを覚えている。

 Albanyまで往復90kmの買い出しをした後、夕食。小雨のため観測なし。


■3月4日(バンバリーへ)
 Albanyの海岸の風景(Torndirrup National Park)を眺める。南氷洋も空も灰色で波は高く、けっこうサムザムしい。そんな中、我々は睡眠十分で意味もなく元気。Bunburyへ向かう。Pembertronで木の上ににある家(Gloucester Tree)に上ったりする。Lonely Planetによると世界一の高さの火の見やぐらならぬ火の見木らしい。

 Bunburyの海岸のキャラバンパークでテントを張り、近くの駐車場で観測。ノブマサオヤジは疲れの為に、カイド中不覚にも寝てしまう。


■3月5日(パースへ、そして超長距離バス。)
 Perthに戻り、レンタカーを返却し、Kings parkで昼寝。Kings parkでのアーストラリアン親子の会話。

 子供 「What's that?」(リュウノスケを指さして大声で)
 母親 「That's a sleeping Japanese.」

おいおい。

 夕方、Adelaide行きの長距離バスに乗り込む。Perthでは裸足がはやっているのだろうか?裸足の人(特に若い女性)をやたら見かける。

 W.A.とS.A.の境界を越える。2時間、時計を進める。陸路で時差というのは初めてだ。しかも2時間も。


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