〜岡山編〜
実家がある。
クニとか、故郷とか、田舎とか、フルサトに類似するところである。
名称:医王山城、祝山城、岩尾山城 訪問年月日:未訪問 |
石塁が残る。 |
名称:勝山城(高田城) 訪問年月日:未訪問 |
本丸の石垣は良く残る。二の丸にも一部現存。 |
名称:篠向城、篠葺城、篠吹城 訪問年月日:未訪問 |
石垣の一部が残る。 |
名称:津山城(鶴山城、鶴城) 訪問年月日:1988.3.4 |
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スッパリしたイメージ。勾配が直線に近いせいでしょう。 |
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幾重ものスッパリ石垣。見事です。 |
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名称:鶴田陣屋 訪問年月日:未訪問 |
石垣が現存。 |
名称:新見陣屋 訪問年月日:未訪問 |
小学校の校内に石垣の一部が残る。 |
名称:備中松山城(高梁城、小松山城) 訪問年月日:1987.11 |
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典型的山城ですが、石垣は立派です。 近くで石が入手できたのでしょう。 |
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ここも、右側の岩盤と石垣が見事に融合しています。 |
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なにしろここの特徴は岩盤の利用です。左の写真も殆ど岩盤。 |
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名称:三石城 訪問年月日:未訪問 |
石垣がある。 |
名称:金川城、玉松城 訪問年月日:未訪問 |
石垣の一部が残る。 |
名称:成羽陣屋 訪問年月日:未訪問 |
石垣が現存。 |
名称:足守陣屋 訪問年月日:未訪問 |
石垣と水堀現存。 |
名称:高松城(備中高松城) 訪問年月日:1987.11.?? |
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残念ながら池っぽいもの以外は何もありません。どこまでが沈んだのやら。 清水宗治時代の石垣は発見されていません。高松の水攻め後入城した花房氏が築いた石垣が本丸北側にあるそうですが、現在は土に埋もれていて見えないそうです。沼城なので、元々たいした石垣はなかったのかもしれません。 |
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名称:岡山城(烏城、金烏城) 訪問年月日:小学生の時、1986.12.26、1987.春、1999.1.3 |
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岡山では花崗岩がたくさん採れます。 |
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木の根などでふくらんできています。 |
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かつて巨石を使う事が流行りました。 |
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ちょっと、見にくいですが、上から下まで一枚。 |
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かなりでかい。でも大阪城程じゃない。 |
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なんとなく、どこもかしこも、石がでかい。大味というか、ガキっぽいというか。 |
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ちょっと、デザイン心も見えます。 |
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激しい空襲で焼けた天守台の石。 |
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こいつは、ちょっと笑える。ヨッコラショと立て掛けたけど、倒れそうなので、下に石をかませときました。てな感じ。 |
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なんだかんだ言っても、絵になる石垣が多い城です。 |
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縄張りはかなり凝ってます。右の面と左の面が直角じゃない所がポイント。 |
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名称:庭瀬陣屋(庭瀬城) 訪問年月日:未訪問 |
清山神社境内に石垣と堀が現存。 |
名称:撫川城 訪問年月日:未訪問 |
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名称:鴨方陣屋 訪問年月日:未訪問 |
黒住教敷地に石垣現存。 |
名称:常山城 訪問年月日:1986.1.1&1990.1.1 |
写真探索中。 |
名称:笠岡山城(古城山公園) 訪問年月日:1988.4.8 |
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とりあえず、古そうな石垣発見。 小早川隆景家臣、村上八郎左衛門景広の居城。その後、理由は忘れたのですが、城の上のほうは削られたそうです。この村上景広の方は細川忠興の招きに応じて、小倉城に入ったそうです。小倉城の石垣から村上八郎左衛門の名が書かれた石が見つかっており、小倉城の築城にたずさわっていたようです。 |
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名称:下津井城 訪問年月日:未訪問 |
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カラー
参考出版物
*1:「図説 日本の名城」 平井聖、小室榮一編 斎藤政秋写真 河出書房新社 1994.3.25
*3:「歴史と旅 臨時増刊 空から見た名城」第21巻第18号 秋田書店 1994.11.5
*4:「読物日本史シリーズ 日本史 名城の謎」 櫻井成廣 日本文芸社 1983.11.20
*5:「山渓カラーガイド カラー 城と城下町」 文/能坂利雄 山と渓谷社 1971.12.1
*6:「毎日グラフ別冊 戦国・城と女 全三巻」 楠戸義昭編 毎日新聞社 1989.10.15〜1990.4.25
*7:「戦国の城 (中)、(下)」 西ヶ谷恭弘著 伊藤展安イラストレーション 学研 1992.12.1〜4.1
*8:「日本古城物語」 井上宗和 グラフィック社 1987.9.25
*9:「地図で歩く 城と城下町100選」 下中直人発行 平凡社 2001.7.24
*10:「別冊歴史読本93 新・日本名城図鑑」 平井聖監修、三浦正幸解説、石田多加幸写真 新人物往来社 2001.12.19
*11:「図説日本城郭大辞典1〜3」平井聖監修 日本図書センター 2000.2.25
*12:「城1〜8」平井聖監修 毎日新聞社 1997.3.25
*15:「図説中世城郭辞典1〜3」村田修三編 株式会社新人物往来社 1987.4.25
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