〜千葉編〜
現在のりゅうのすけの住民票がある。
千葉の人は田舎のもの扱いされたりして、卑屈だ。
もっと、胸をはるんだ。結構、イイトコロだ。
名称:関宿城 訪問年月日:未訪問 |
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名称:高岡陣屋 訪問年月日:1999.2.13 |
陣屋跡はJAになっており、小さなほこらがあるだけ。石垣なし。近くにある真城院の山門の写真です。なかなか立派。 |
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名称:小見川陣屋 訪問年月日:1999.2.13 |
陣屋跡の小学校の校庭。大きな木が残っている。他には何も無い。 |
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名称:多古陣屋 (松平陣屋) 訪問年月日:1999.2.13 |
小学校の近くで発見。ひどく地味なうえに草ボウボウ。でも、なぜか安定感がある。 |
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名称:佐倉城 (柳野城) 訪問年月日:1998.12.19 |
写真のような土塁発見。こんなにキレイなのは見たことない。キレイ過ぎ。ふもとにある水堀あたりもグーです。 |
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名称:千葉城 訪問年月日:2003.9.7 |
千葉市立郷土博物館を見に行く。史実とは関係なく、天守閣風の建物が建っている。石垣はない。 |
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名称:生実城、 生実陣屋、 小弓城 訪問年月日:1998.12.13 |
池の向こうのこんもりした林のあたり。墓になっていて何もない。 |
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名称:鶴牧陣屋 訪問年月日:1998.12.13 |
石垣なし。でも周辺の道に面影が。木漏れ日の中の古そうな道。散歩に良いかも。 |
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名称:一宮藩陣屋 訪問年月日:1998.11.29 |
ここもまた、驚くほど何もありません。ちゃちな大手門だけ。浜の近くには砲台があったらしいのですが、そこにも何もなし。代りに九十九里浜の写真でもご覧下さい。 |
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名称:真武根陣屋 訪問年月日:1998.12.6 |
石垣なし。「犬走り」のような構造発見。草が刈ってあり、立ち入り禁止だった。調査中かも。 |
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名称:飯野陣屋 訪問年月日:1998.12.6 |
判りにくい写真ですが、水堀です。こんな、水堀と土塁が延々数km続きます。中の陣屋跡には民家と畑。石垣なし。 |
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名称:久留里城 (雨城) 訪問年月日:1998.11.22 |
天守土台の現代版模造石垣。大多喜ほどではないにしろ、ポリシーが無い石垣です。 デザインも機能も無視すると、こうなる、という良い例かも。 |
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名称:大多喜城(大滝城、大田喜城) 訪問年月日:1998.11.22 |
天守の基礎になっている模造石垣。ステンレスの「電気室」扉とのアンバランスもさることながら、この石垣はヘタ過ぎる。呆れた。 |
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名称:佐貫城(亀城) 訪問年月日:1998.11.28 |
看板の後ろの台形の小山が実は石垣。たぶん大手門跡。草に埋もれてます。消失寸前。 |
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名称:竹ヶ岡台場 (陰の砲台) (百首台場) (平夷山台場) 訪問年月日:2003.8.3 |
海水浴場と宅地になっている。海に面した防波用石垣あり。 |
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名称:勝山陣屋 訪問年月日:1998.11.28 |
民家の境にちょっと残る石垣。手前の面には柱の溝あり。発見時に感激しました。うちの庭にも是非欲しい一品ですな。 |
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名称:船形陣屋 訪問年月日:未訪問 |
南側に石垣や溝が残っているらしい。 | ||||
名称:殿作屋敷遺跡 訪問年月日:2003.8.3 |
中世の屋敷跡の可能性があるとされる。神社になっており、斜面に石垣の痕跡あり。 |
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名称:館山城 訪問年月日:1998.11.28 |
基本的には何も残っていません。資料さえも。代りに「南総里見八犬伝」のモデルになった八遺臣の墓でもご覧下さい。 |
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参考出版物
*1:「図説 日本の名城」 平井聖、小室榮一編 斎藤政秋写真 河出書房新社 1994.3.25
*2:「房総城下町絵本」 さいとうはるき 崙書房出版 1995.9.20
*3:「歴史と旅 臨時増刊 空から見た名城」第21巻第18号 秋田書店 1994.11.5
*6:「毎日グラフ別冊 戦国・城と女 全三巻」 楠戸義昭編 毎日新聞社 1989.10.15〜1990.4.25
*8:「日本古城物語」 井上宗和 グラフィック社 1987.9.25
*9:「地図で歩く 城と城下町100選」 下中直人発行 平凡社 2001.7.24
*10:「別冊歴史読本93 新・日本名城図鑑」 平井聖監修、三浦正幸解説、石田多加幸写真 新人物往来社 2001.12.19
*11:「図説日本城郭大辞典1〜3」平井聖監修 日本図書センター 2000.2.25
*12:「城1〜8」平井聖監修 毎日新聞社 1997.3.25
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