オーストラリア旅行記 2
この記録は1993年のAustralia Tourの現地記録を中心に、記述されていない部分は写真、8mmビデオ及び当地より持ち帰った資料を参照しつつ、若干ながらも残っている曖昧な記憶で補完して、可能な限り客観的にまとめた記録である。
■参加メンバー
ノブマサオヤジ (都合により、計画段階のみ。旅行には参加できず。)
リュウノスケ (25歳)
ジンタロウ (25歳)
スミコ (25歳、女性)
■観測機材:Vixen SuperPolaris(赤道儀)+Celestron C-8(鏡筒) (観望用に使用)
■1月15日
出発当日である。各人の出発地はリュウノスケが北九州市小倉北区、ジンタロウは大阪狭山市、スミコは大阪市であった。集合場所はシンガポールチャンギー空港。つまり、私以外の2人は伊丹、私は板付から出国し、それぞれ集合地へ向かったわけである。第1回TOURでの「帰国コースバラバラ」に続き今回は「出国時海外待ち合わせ」となったわけである。もともと、独力でオーストラリアぐ旅行を企画して実行可能な程度の人間が集まってるわけだから、これぐらいの事はできても不思議はない。別の面でみると、就職しているメンバーが増えてスケジュール調整が困難になった事と在住地がばらついてしまっている事から、必要に迫られての結論といえる。
さて、ジンタロウとスミコはさておき、リュウノスケは第1回TOURで自作した酒ケース改造型望遠鏡ケース(通称緑ケース)にC8を入れて、福岡国際空港に向かった。その他、携帯した物として特記すべきは海水パンツが挙げられる。今回の旅行の一番の特徴は、海(Indian sea)に近い地域である事が挙げられる。この事は、昼間に見物する地形、動植物、町、それと夜間に星を見る時の気象状態に大きな影響がある事を意味している。
予定通りSingapore Airlines SQ989便に乗り込んだ私を待っていたのはCクラスのシートであった(ビジネスクラス)。Overbookingで人が乗りすぎたようで、Yクラス(エコノミー)を追い出されてしまったわけだ。なんと、席は横向きに見ると2席×3列しかない。格段に席幅が広く、過ごしやすい(寝やすい)。 しかし、残念な事に、MealはCクラスと同じであった。ところで、隣の人は当然、一人しかいないわけだが、シンガポールからクライストチャーチに行く一人旅の男であった。偶然にも、帰りのシンガポール〜福岡便も同じであった。また、同じようにCクラスのチケットでYクラスに座っていた。最後に、帰りの便での再会を約束しつつ、Chngi空港でそれぞれの乗り継ぎ便のゲートへ向かった。
Changi空港に到着したのは現地時刻で17:30であった。ジンタロウとスミコの便が着くのは1時間後である。そこで、Changi空港内の探索に出かけた。Changiは、香港カイタックよりもきれいで静かで人が少ない事が印象的であった。あと、SQのスチュワーデスが異常な程うようよいて、全体的に華やかな感じでよろしい。なお、ジンタロウとスミコとは無事に合流し、Perth行きのSQ224便に乗り込んだ。どうやら、スミコは会社の先輩にたのまれたSQトランプをもらい、SQスチュワーデス人形の注文もしたらしい。かなり、ミーハーな先輩のようである。
■1月16日
1:30にPerth到着。すで日付は変わっている。入国手続きをすませ、Cargoに預けた緑ケースを待つ。緑ケースは多くの人々の注目の中(オーストラリア各地のステッカーがすでにかなり張られている為)、コンベアから落ちたりしつつ、我々に引き取られた。一路、Heartsのカウンターへ。といっても、空港内なので、すぐ目の前にある。ここで、Fordファルコンのステーションワゴンを借り、Shark bayの方にはカンガルーが「a lot」いるから気をつけろとのアドバイスをもらった。
02:30、Perth international airportから Roe Highwayを経由して、National Route 1の北上を開始した。
アドバイスのとおりカンガルーの交通事故死体を十数頭見つつ、07:30にはGeraldtonに到着。5時間で、450km。途中、ファルコンのエンジン(4.0リットル、OHC)を観察したり、道ばたのカタツムリの群生を見たりした。カタツムリが群生するメリットはなんなんだろう?襲われにくいのか?Geraldton朝食と給油をすませ、Shark bayをめざす。ロードトレインを抜いたりして、13:00にはDenhamに到着。Perthから740kmあまり。まずは、今回の旅行の往復コースのうち、往路は何もせずに一気に走り抜いたわけだ。この後、5日ほどかけてPerthへもどる、というのがこの旅行のおおまかなスケジュールとなる。片道コースの方が効率はいいのだか、他の町にも言えることだが特にPerthの周辺は都市がないのである。仮にPerth〜Geraldton間を空路で移動するとしても、乗り継ぎ時間のロスとその間の車が無いこと(及び荷物が多いこと)を考え合わせてもどちらが効率的かは微妙なところである。
町に着いたら、まずはInformationへ、という鉄則に従う。ここで、宿を決定。Denham seaside Caravan ParkのOn-site-Van(キャンピングカー据え置きタイプ)。目の前はインド洋。
昼飯後、なんと我々は昼寝してしまう。起きると18:30。何も買い物をしていなかった。あわてて買い物へ。Supermarketはなんとか間にあったが、肉屋とCaravan park前のFoodshopは閉まっていた。この町で食料品が買えるのはこの3店のみである。もう少し寝過ごしたら、夕食抜きだったかもしれない。
夕食後、結構甘い現地のスイカを食ってから、観測に出かけた。とりあえず、徒歩で周辺で観測可能な場所を探す。町の中なので、街灯があり、この光を避けられる場所にじんどる。しかし、風が非常に強く望遠鏡が揺れる。透明度はとてもいいのだが、シーイングは最悪という状態で、あまり長時間観望を続けると頭痛が起こるほどであった。24:00ごろ引き上げて、就寝。明日は朝早く行動する必要があるのだ。
■1月17日
05:00、スミコが普段実験で使っている24時間タイマーを目覚まし時計代わりに使って起きる。朝食をすませて、Monkey miaへ。約25km程、Peron peninsulaの反対側である。前日、Informationで教えてもらったとおり、06:30にはMonkey miaの海岸で、靴を脱いで海に入って待つ。ペリカンやウミウで遊ぶこと30分、お目当ての野生のいるか登場。しかし、さすが賢く、いつも餌をくれる人がいないとみると、すかさず沖へ帰ってしまう。さらに待つこと30分。Monkey miaのInformation centreのおじさんが餌を持って登場。何頭かのいるかがやってきて、餌をもらって帰っていった。日曜日ということもあって、この日は特に人が多く、我々はいるかには触れなかった。いるかに触るには、もう30分ほど早くこなくてはいけないようだ。しかし、すぐ目の前をゆうゆうといるかが泳いで行き、我々を見るために横向きになっている姿は、なかなか心温まるものであった。
海水パンツも持ってきたことなので、いるかのポイントから500mほど移動して、海水浴。いるかと泳ぐ事は禁じられているのだ。
昼からは、周辺の観光に出かけた。ちなみにリュウノスケの昼食は海老ロールであった。山のように小海老のむき身が入ったホットドッグ状の食べ物であった。うまいのだが、食いにくい。
Denhamの近くのLittle logoon。丸い海水の池である。我々が行ったときは人っ子一人いなかった。鴎が多いのが印象的。砂浜に、朽ち果てたBBQセットがぽつんとあり、強い日差しの中で、なんとなくもの寂しさを漂わせていた。
Denhamから南へ50km程の、Shell beach。標識に沿って、白い砂浜に出た。しかし、そこはすでに「貝浜」であった。見渡す限り右も左も白い貝浜が続いている。貝は殆ど二枚貝で若干の巻き貝も混ざっている。二枚貝も7〜8mm程度の白い単一種である。結果として、きれいな貝を探すといった遊びはできない。「地面?」を掘ってみても全く砂や土は出てこない。こんな風に貝を眺めたり、掘ったり、投げたりしていても意外と飽きてくるのは早い場所である。後は、遥か前方に見えている波打ち際までお散歩するしかない。しかし、ここの干潟はかなり沈みやすく、結局、波打ち際にはたどり着けず、サンダルが泥だらけになるという結末となった。
Denhamから南へ20km程の、Eagle Bliff。Lime stone(石灰岩)の断崖絶壁。このころからやたらと風が強くなってきた。というか、この場所が特に風の強い場所だったのかもしれない。風に乗って飛んでくる砂粒(もしかしたら貝?)が焼けた肌に痛かった。
その後、Denhamの町を一望できる「Denham lookout」を経由して、Denhamに戻った。Petrol standとSupaer marketとBottle shopによって、ビールを購入した。今日はいるかを見られた事を記念して乾杯することになったのだ。ビールで乾杯、完璧な水平線への日没を見物。そして夕食後、観測へ。今晩は車で1〜2km移動した測道での観測となった。ここは、街灯がない為、暗さ格別だが、車が通る危険性をはらんでいる。しかし、ここは昨晩の海岸側のポイントよりも風が弱い。途中、スミコの写真用のフィルムがカメラの中で切れてしまったりしたが、リュウノスケはかなりのハイペースで星雲星団のスケッチをとる事ができた。最終的に気温は10℃程度まで下がった。しかも、風が強いため体感温度はさらに低かった。真夏とは思えないような厳しい観測となった。
■1月18日
朝食後、09:30には出発。ドライバーはジンタロウ。人数が少ないと、朝の行動が早いという法則が成り立つ。今日は"Useless Loop load"という名前に惹かれて、何の目的もなく"Edel land"をめざす。特に観光地として紹介されているポイントもない地域である。たまにはそういう日もあっていいのではないだろうか?
途中、"GRID"(家畜の移動防止用の道路にしいてある柵みたいなもの)を観察したりしつつ、11:00Tamalaへの分岐点に到着(近くにはDisappointment Loopなどという悲しい地名があったりする)。ここまではダートではあるが、状態は良く、80km/hrで走行可能であった。ただし、何もなかった。車とも一台もすれちがわなかった。車の故障が死に直結する地帯に突入しているわけだ。しかし、ここにきてようやく一人の人物と出会う。その人物は犬とふたりっきりで来ていた大学教授で、親切にも我々にUseless Loopの方向を教えてくれた。しかし、道は元来た道と、Tamalaへの道とUseless Loopへの道しかない。どうやっても間違えようがない事も事実であった。
教授のおっさんと分かれたとたん、いきなり「スタック」である。上り坂の途中のくぼみに砂が溜まっていた。なんとかリュウノスケとスミコが前から押して後ろへ脱出。しかし、全員の頭の中に脱水症状で死んでいく己の姿がよぎった事は言うまでもない。ここで、当然、協議となる。結論は、「こんなスタックしやすい状況はここだけかもしれない。もっと頻繁にでてきたら迷わず引き返す事を前提に進む。」。結構、無謀であった。ドライバーはリュウノスケに変わった。
Emuの群(5羽)を200mm望遠で激写しつつ、さらに40km進んだ。Useless Loopまではあと40km。Brown Inletの少し手前と考えられる地点。浮き砂があまりにも多く引き返す。結局、Emuを見た意外はこれといって何もない(人もいない)というのがUseless Loop loadの結果になってしまった。やっぱり本当に"Useless"なのだろうか?その秘密は残りの40kmとともに謎のままになった。(後で判った事だが、Useless Loop loadは4WD onlyとしているmapもあった。本当に生きて帰れて良かった。)
Tamalaへの分岐点までリュウノスケが運転し、その後、ジンタロウが運転。14:30、Overlander Roadhouseに到着。昨日、Monkey miaでいるかを見ていた親子と出会う。ここOverlander Roadhouseはほとんど陸の孤島であり、通過する人の殆どが寄るような所である。このあたりでは、100km程度は近所みたいなものである。
ハンバーガーを食べた。うまかった。やはり、生きている事はすばらしい。ところで、ここは完全に無風でやたら暑かった。このことから、我々は風が強いのは海岸近くのみである事に気づいた。Overlander Roadhouse程度内陸(30km程度)であれば観測を風に邪魔されることは無いわけである。
15:30、Hamelin Pool到着。ストロマトライトを見る。ラン藻類の一種の作った50cmぐらいの丸っこい石。太古の昔、地球の酸素を作ったやつらである。スミコ曰く、「小さいですね。デビルズマーブルズくらいあると思ってました。」さすが、Yulalaを「ゆらゆら」と読んでしまう人である。(デビルズマーブルとはN.T.にある直径数mの丸っこい巨石群)
Hamelin PoolのVisiter Centreへ向かった。地球の歩き方「FRONTIER」の写真と水槽の配置が変わっている。どうやら模様替えしたようである。ビデオで、NHK特集の「ストロマトライトの成長」のオリジナルを見たり、ストロマトライトの断面を触ったり、「生きているストロマトライトは柔らかい」などという説明を受けたりした。(我々が触ったものは全て堅かった。つまり、死んでいたわけだ!)
ここ、Hamelinはかつて、通信の中継点だったらしい。Londonからのモールス信号を手書きで記録して。Perthへ発信していたらしい。大英帝国時代にこんな所へ中継のために派遣されていた人がいたわけだ。同情してしまう。
砂嵐で前が良く見えないような状態でDenhamへ戻る。Food shop, Tourist information, Supermarket, Petrol standに寄り、18:30、On-Site-Vanに帰還。スミコは会社の先輩へのみやげとしてビールキットを購入。日本へ持ち帰る事自体は違法ではない。ただし、醸造すると酒造法違反(当時)。
さっぱり判らなくて笑えないコメデイーを見つつ、夕食。「旅行中はたくさん寝れていい。」とか言ってるジンタロウを残して、昨夜の場所で観測。Denhamの街灯は24:00で全て消える。光害は皆無になる。ケンタウルス−南十字−ほ−とも −おおいぬ−一角獣−ふたごーぎょしゃ、銀河が真上を通って、空をまっぷたつである。見事。ケンタウルスからおおいぬにかけての銀河は明星が多く、北天にはない派手さがある。25:30観測終了。
■1月19日
07:00起床。掃除をしてチェックアウト。08:30Denhamを出発。まずはInfofmation centreへ向かい3人そろって、いるかのぬいぐるみを買う。我々も結構ミーハーである。人の事は言えない。Denhamの看板("Touch Another World")の前で記念撮影をし、慣れ親しんだDenhamを後にする。今日の最終目的地Kalbarriに向け出発。
09:30Hamelinを再び訪れる。満ち潮で海中の沈んでるストロマトライトが酸素を出してるのを見てやろうという作戦であった。しかし、残難ながら引き潮。どうも、Hamelin Pool内は干満の挙動が変なようだ。しかし、昨日教えてもらった、生きている柔らかいストロマトライトを確認した。それと、今日は昨日にも増して、打ち上げられたクラゲが多い。Hamelin Poolの海水は古代の組成に近いらしいが、昔の海はクラゲだらけだったのだろうか?さらに、今日は昨日閉まっていた唯一の店が開いていた。しかし、店員は昨日、Visiter centreで説明していたおっさんと、双子の姉妹。なんだか仕組みが良く判らない。ここで、ジンタロウは会社で使う筆立て、リュウノスケはShell Blockを買う。Shell Blockとはこのあたりで産出する押し固められた貝の固まりで、切り出して建築材料にも使われたりするものである。しかし、リュウノスケが買って日本に持ち帰っても使い道はない。その点、ジンタロウの買い物は実用的である。
14:00、Banksiaの花を眺めつつ、Kalbarri着。アンカレッジキャラバンパークへ向かう。しかし、今日はSchool holidayで、On-Site-Vanは満室であった。なんとか、次のMurchison Caravan ParkでOn-Site-Van(AU$30/night)を借りる。内装は豪華だが、ちょっと変。オーブンは"Rinnai"。エアコンは"National"(ただし、フィルターなし。こっちの人はこの辺がいい加減。)皿は全て"Made in Chana"。食器はあるが、洗剤とスポンジなし。なかなか、楽しませてくれる。
Tourist InformationでKalbarri National Parkの情報をあさり、遅い昼食(またハンバーガー)をとりながら、夕方までの行動について作戦会議。とりあえず、往復30km程度のKalbarri Coastの奇岩めぐりに出発。
(1)Natural Bridge 車を止めて、サインボードに従って進むと、いきなりそのものの上に出てしまい、見えなかった。右に進むとやっと見えてきた。それと、残念ながら一番良く見えるであろうと思われるポイントはオーバーハングの上で、しかもひびが入っている。いわゆる「海食地形」の「アーチ」である。ジンタロウ曰く、「この程度のものは南紀で見られる。」ドライなやつである。
(2)Island Rock Natural Bridgeのポイントですでに見えていた。周りが波に削られて島状になっている。この付近はすさまじいまでの海風であった。がげっぷちに近づくこともできなかった。
(3)Shell House & Grandstand Shell Houseは家型らしいが、またまた、そのものの真上にいてさっぱり判らなかった。Grandstandはさっぱりわけわからずじまい。すでにどれもこれも同じで、飽き始めていた。
(4)Eagle Gorge 谷づたいに砂浜まで下りられる。道中にサンドチューブなんかがあったりして、結構楽しめた。どうってことないB級観光地のだが、風景の変化が楽しく、なぜかシャッターを押す回数が増えてしまう。ただし、強風で貝が飛んでくるような状態でレンズが心配になるほどであった。
(5)Poe Alley 水平な地層が波で削られて、円錐型になっている風景。ちょっと、バングルバングル風である。
(6)Rainbow Valley 白い砂岩層に赤っぽい層が縞状に入っている。一部、青っぽい層もある。その間から、水が染みだしている部分もある。こんな風に説明すると、確かに、「虹」っぽいが、実際の虹との間にはかなりの差がある。まあ、一言で言えば、「こじつけ」であろうか。ここにも、大量のサンドチューブがあった。
(7)Mushroom Rock しばらく歩いていくとサインボード(ここでは、Soft rockとなっていた。)があった、ここまで来てその本体が見えた。岩の板が、ポロッという感じで他の岩に乗っている。かなりおもしろそうに見えた。しかし、遠い。めんどくさがるジンタロウを説得して、進んだ。しかし、近づいてみたところで、あまり変わらない。一応、上に乗って記念撮影。
(8)Red Bluff このあたり一帯の海岸が見渡せる展望台的なポイント。説明によると、北側200kmが見えるそうだが、ちょっと無理。せいぜい20〜30kmといったところか。
19:00、給油してから、Murchison Caravan Parkに戻ってきた。20:00、スミコが車のハッチのノブが調子悪いと言い出した。どうも、若干変形していた止め金部分を、何度もハッチを閉めようとしたせいで、致命的に変形させてしまったようだった。とりあえず、リュウノスケのかばんの肩掛け部分で、ハッチと後部座席のシートベルトを繋ぎ、シートベルトを閉めることでハッチを開かないように固定した。以降、この旅行中はハッチは開かないことになった。しかも、返却時には、そのまま返すとういう無責任な事をしてしまった。まあ、レンタカー代にそれぐらいの修理代は含まれているに違いないということで、勝手に納得する我々であった。
21:30、堅くて食えないアボガドをくわえながら、明日以降の作戦会議。ここで、目標の一つ「ロブスターを食う」の達成のため、フリーマントル突入が決定された。初めて、社会人ツアーとしての特徴がでてきた。
23:00、なぜか風がやんだ。しかし、まだらの雲が出てきて、雲量は4程度。
■1月20日
07:00に起きて、08:00出発。なんて規則正しい生活なんだ。借りたときは一個だった鍵が2個になってたりしたが、気にせず出発。Van内のチェックは我々が行った後にするそうだ。結構、いいかげんである。町の出口で1人ヒッチハイカーがいたが、どうしようか迷っているうちに結果的に無視。"The loop"へ向かう。再び、2人のヒッチハイカー登場。こんどは乗せた。6カ月かけてテント生活でオーストラリアを一周しているドイツ人カップルであった。やさしそうな(スミコ評)おにいさんと体型がくずれかけている(ジンタロウ評)おねーさん。
The Loop入り口に到着。Loop一周のトレッキングコースは10kmと判る。とりあえず、入り口近くのNatuer windowを見にいく。大きさはさほどではないが、なかなか味のあるアーチ。あまりにも暑いのでLoopトレッキングはやめて戻る。ドイツ人たちは最初Loopを歩くと言っていたが、やはり、あきらめて戻っていった。
ドイツ人ヒッチハイカーと一緒にZ bendへ向かった。途中、名も無きLook outに寄りつつ、Z bend到着。ちょろっと水が溜まっている深い谷。オーストラリアでは、真水がちょっとでも溜まって入ればそこは観光地になってしまう。底の方を見ていると歩いている団体がいた。この暑さの中を歩き回っている人々がいるというののは驚いた。しかし、ここでもドイツ人ヒッチハイカーはさっさと車(我々の車)の方に戻って行ってしまった。6カ月も旅行しているわりにはせっかち。我々が車に戻ると、リンゴを食べながら待っていた。我々に水を分けてくれたが、ここで彼らはいきなり「カンパイ」といった。日本人の乾杯好きは世界的に有名なのかもしれない。このあとKalbarriまで乗せてほしいとの申し出だったが、途中までしか戻らないので、そこまで乗せることにした。
ヒッチハイカーをおろし、Hawks Headに到着。谷の上に突き出した岩。はたから見てるとスリリングだが、上に乗ってる方はどーってことない。ここは、比較的水がまとまって溜まっており、結構きれい。
Ross Graham Looofoutは適当に入り口だけ見て、Geraldtonに向かう。12:00、Northamptonの調子の悪い公衆電話から、リコンフォーム。途中、一回切れたりした。一仕事終わったので、スーパーマーケットのフィリピーナねーちゃんに、チャイニーズと間違われながら、ジュースを買って水分補給。フィリピーナねーちゃんは日本語の「ありがとう」と「さよなら」を知っていた。こんな地の果てみたいな所で聴く日本語は、我々に旅が後半に突入していることを思い出させた。
13:00、Geraldton到着。Pizza hatでピザを食べた。ここで、リュウノスケは飲み物にRed creaming sodaを注文した。これは、かき氷の赤をサイダーで割ったようなもので、やたら甘くて、口がべたべたした。日本ではちょっとあり得ないようなしろものだった。
14:00、Geraldton出発。15:00、Dongaraを通過。途中、120km/hrで飛行中の鳥がフロントガラスにぶつかったが、ドライバーのジンタロウはハンドル切らず、アクセル戻さず、顔だけよけた。飛んできたのがカンガルーでなくて良かった。Jurien Rd., Nunbinea Rd, Cervantes Rd.と通って、16:30、Cervantes到着。
宿をCervantes Caravan ParkのOn-Site-Vanに決め、17:00、Pinnnaclesに向かった。17:20、Pinnacles Desert到着。
2〜3mの石柱が約1000本立ち並ぶ砂砂漠。リュウノスケが訪れるのは2回目であった。ルートはループ状になっていて、車で回ることができ、車が駐車できる所は10カ所程度。とりあえず作戦としては、1回止まらずに回り全体を把握する。さらにもう一回止まりながらゆっくり見て回ることにした。日も傾いてきており、石柱の影が延びてなかなか美しかった。人影も少なく、他にいる観光客は車一台分のアラブ人らしき人々だけ。
19:00、Cervantes Caravan Parkに帰ってきた。いつもどおり、交代でシャワーを浴びながら夕食の準備。しかし、ここでスミコはスイッチの入っていない電気コンロに鍋をかけて、「30分ぐらいは大丈夫ですから。」などと言って、シャワーを浴びにいってしまった。確かに30分どころか一晩ぐらいは大丈夫だろう。しかし、夕食はできない事もまた確か。この晩の夕食はソーセージの牛乳煮込み+Country Grain Bread+Orange。そして、食後に、備え付けのコーヒー。しかし、なぜかここのコーヒーはしょっぱかった。後になってその原因は判明したのだが、やかんの底に塩らしき堆積物があった為だった。ここの水は塩水を淡水化したものなのだろうが、若干残っている塩分がだんだん堆積したのだろう。しかたなく、ここらではFamous Drinkの"Kole Beer"で夕食後のひとときを過ごした。
22:30、Cervantesの空港で観測開始。空港といっても、少し太めのダートのような滑走路が一本とふきながし一本とセスナが一機、といういわゆる、地図では"Landing ground"になっているやつであった。当然、明かりなんか無い。いつものように24:00頃、南向きに我々も乗ったSQ224便が飛ぶ。それ以外に人工的な光は全くなかった。
02:00頃、これまで無風快晴だったが、風が吹き始めた。雲も少し出た。ここでは、雲は真っ黒で、まるで空に穴があいたように見えた。
薄明開始。一旦、Vanに戻り8mmカメラを持って、再びLanding groundへ戻った。最後に朝焼けを撮影するためだった。05:30、観測終了。
■1月21日
08:30起床。ジンタロウのみ爽快な朝。09:30、Pinnacles Desert前のロータリーを一周し、全員がもう一度見る必要性を感じないことを確認し、Perthに向け出発。この後、我々は「ジンタワープ航法」を使用した。
ここで、「ジンタワープ航法」について説明しよう。この航法は、我々のオーストラリアツアーで今後も何度か使用されることになる。まず、「ジンタ」とはジンタロウのニックネームである。「ワープ」とは出発地点から到着地点まで時空を越えて、一瞬で到着する方法である。出発地点で、ジンタロウがドラバーの時に使用され、「一瞬」のうちに目的地に着く。しかし、一瞬と感じるのは「ジンタロウ以外全員」である事が判っている。また、ジンタロウ以外全員が徹夜で観測した場合に良く使われる。
というわけで、12:00、一瞬でPerthに到着。久しぶりに列車が走っているのを見て、うれしくなって写真を撮ったりしながら、市内のLake Mongerをめざす。しかし、Perthは意外と一方通行の多い街で、なかなかたどり着けなかった。
12:30、Monger湖畔の駐車場に到着した。前もって用意しておいた食パンを持って、湖畔に向かった。いきなり、Black Swanとカモメが数羽寄ってくる。パンをやり始めるとそこらじゅうのも集まり始め、数十羽に囲まれ(襲われ?)てる状態になった。ちょっと恐いぐらい。パンがまだあるのに出すのをやめると怒って、つつきまわされる。Friendlyというよりはずうずうしい。後に、スミコはつつかれた手がかゆくなるという後遺症に悩まされることになった。
13:30、Perth Bus Termianl横の駐車場に車を止め、Downtownへ向かった。昼食後、今回のツアーを泣く泣く諦めたノブマサオヤジ氏に依されたガイドブック"Wild Australia"を本屋で購入。幸運なことに、3軒の本屋がすぐ近所に集まっていて、なんとか現物を置いている本屋があった。
その後、街を徘徊。高層ビルや教会を眺めて歩いた。これまで、我々が旅行してきた空間とは別世界である。非常に快適で、便利。街の中にいると、周囲数千kmには都市がないというのは、ちょっと信じがたい。なんと、「バッタ屋」(Discount Store)まである。あやしげな土産を格安で入手するには最適、と皆の意見が一致した。今、中に入ると時間がかかるのは明かだったので、明日寄ることにした。Informationに寄った。しかし、今回の旅行にはもう更なる情報は不要だった。「今度はShark Bayから北の方へ行く。」といって、Western Australia北部のAccommodation Listをもらった。いつか行かなくては。Broomeに。
16:30、General Post Office到着。Post Packを買い込む。PostPackとは郵便局が売っている、郵便専用段ボール箱である。帰国時、身軽になるために、帰ってもすぐには必要ではないもの(観測機材、自分の土産、書籍類、シュラフ、等)をSea mailで送るためである。今晩詰めて、明日発送予定。着くのは1〜3カ月後になる。
17:00。ジュース(ジンタロウは2A$スプライト。1リットルぐらいある!)を飲んでひと休みの後、Fremantleへ。Fremantleに着いてから宿を探し始めた。町中では宿を決めるのに一苦労する。適当にMotel飛び込みであたった。一件目はあやしげなDiscoらしき店の2階で、Receptinがその店だった。ドアを開けたとたんに大音響。そのままドアを閉めて、さようなら。2軒目はなぜか、モーテルと思って行くとRestaurantだった。ウエイターに「右に少し行け。」と言われ、車でしばらく走った。しかし、無い。戻ると、なんとRestaurantと併設の同名Motelであった。その名は"Sunny's Shing on the Swan"。スワン川に輝く太陽?うーん、なかなか良い。しかし、残念ながら、部屋の窓からはスワン川も太陽も見えなかった。まあ、予約もなしだし、しかたあるまい。部屋は、Twin+Extra bedでAU$85だった。
19:00、夕食を求めて、FremantleのDowntownへ向かった。この旅行の最後から2番目の目的である「ロブスター」をクリアーしなくてはならなかった。町中をぶらぶら。しかし、ロブスターどころか、レストランさえほとんどない。その上、自分たちがいる場所さえ判らなくなってしまった。しかたなく、その場にいた女性二人組に現在地を聞いた。ついでに、ロブスターを食べさせるお勧めの店はないか
聞く。しかし、彼女らも心当たりがなかった。その時、彼女らはいきなり目の前を通りかかった車の運転席の男性にお勧めレストランを聞き始めた。なんと、気さくな街なんだ。結局、車の男性に教えてもらった店の名は"Primavera"。イタリア料理の店。Fishing Boat Harbourの前だった。
店に入り、Menuをもらった。しかし、なぜかMenuに"Robster"の文字が見あたらない。ウエイトレスに聞いて、"Robster"="Crayfish"だという事を初めて知った。確かに、クラゲが"Gellyfish"なぐらいだから、無理もない。ジンタロウが"Grilled Crayfish"、リュウノスケとスミコが"Crayfish with Tomato souce"。結構、量もあって当然のようにうまい。しかも、安い。まあ、おそらく日本だけが異常なのだろうが、、、と考えると悲しくなってきた。食後、日本語を習っているウエイトレスと日本語、英語混じりの会話をしつつ、コーヒーを飲んだ。
21:30、Motelに戻り、郵送の準備。23:30、就寝。
■1月22日
8:00、起床。TVをつけると、セサミストリートをやっていた。どうやら、昨日、オードリーヘップパーンが亡くなったらしい事を知った。車の中に、昨日洗濯して乾いていないリュウノスケとスミコのジーンズを干しながら、まずはFremantleツアーに出かけた。
アジア系の店で、朝食。リュウノスケはPacific Ocean Conbinationを頼んだ。ジンジャー風味のFried riceと野菜炒め。味は良いのだが量が爆発的に多かった。
9:00、Free Market。なかなか、ごちゃごちゃしていて、あやしげな商品が並び、いい感じ。AU$1.5〜3ぐらいのぬいぐるみを10個ぐらい買い込んで、安上がりなお土産のできあがり。
10:00、Informationを探すが、見つからない。代わりに駅を見つけた。Perthから着た人々で結構混んでいた。
10:50、Fremantleを設計したC.Y.オコナーの像の横を通って、歴史的船舶博物館(Histric boat musiam)に到着。巨大なブイを眺めながら、11:00の開場を待つ。すぐ横は港。結構、歴史のある港だが、近代的な印象を受けた。活気もある。歴史的船舶博物館でボート、ヨット、船のタービン、エンジンを眺めた。制作中のボート等もあった。
11:30、刑務所跡でFremantleの全景を眺めた。ついでにロットネスト島が見えた。「Perthにおけるロットネスト島は大阪の淡路島みたいなものだろうか?」「パースではロットネスト島にいって、『海外旅行に行ってきた。』とかいうギャグがあったりして。」などと暴言を吐いたりした。
駐車場に戻り、Parking Ticketを追加して、再びお買いものに出かけた。動物キャラクター専門店"Wildnes" 、デイスカウントBook store、やっと見つかったInformation、によって、昼飯。その後、再びFree marketへ。この間、各自、本、絵本、地図、ぬいぐるみ、ウールのざぶとん、Tシャツ、バオバオの実、ワライカワセミのインテリア、等を買い込んだ。少々の値段にはひるまない。社会人パワー、全開である。Free marketでは、街頭芸人を見た。アボリジニの木管楽器で「ボオーボボブオーボオーブオー」などとやっている兄ちゃん(白人)であった。お金を投げると、「ブオンブー」(おそらく"Thank you")とかやっくれる。えらい、サービス精神旺盛な街頭芸人だった。
14:30、Perthへ向かった。まずは、郵便局に向かい、赤道儀を詰めたPostpackを日本に向けて送り出した。15:30、日本から予約していった唯一の宿で最後の宿"Perth Ambassador Hotel"にチェックイン。なんと「8階」であった。この広い国土にこんな高層建設物が必要なんだろうか?
すぐにまた外出。Kings Parkへ向かった。戦没者メモリアルからの眺めが非常に良い。その後、昨日見つけたバッタ屋、オパール専門店、土産物屋をめぐり、さらに、Tシャツ、なぜかSheep skinなんかを買い込んだ。しかし、オパールの店はすべて閉まっており、明日のの課題となってしまった。
18:30、「なぞのギター生演奏付き」のファーストフード集合体のような所で夕食。ジンタロウとリュウノスケはMalasyan。スミコはMexican。ホテルに戻り、久しぶりの風呂。 21:00、本ツアー最終目的である、「Perthの夜景」を探しに出かけた。まずは、昼間にも行ったKings Parkへ行った。昼間よりも車で混んでいた。アベックのたまり場なのかもしれない。夜景は結構美しいのだが、ビル群が近すぎるのと、時間と曜日の関係で、Office系の窓が殆ど明かりがついていないため、今一つ迫力にかけた。やはり、「夜景のシーズンは冬の平日、薄明中。」という鉄則は正しい。しかし、手前にある道路群は車通りが多く、長時間露光がいい感じを出していた。露出時間を極端に変えて、広角から標準まで、異常にたくさんのフィルムを消費して、次のポイントをめざした。次はSwan Riverを越え、Cityの対岸に向かった。ここは、市内で見た「水面に写るパースのビル群」のポスターに感動して、是非現場に行ってみたかった場所であった。ビルの窓はやはり暗いのだが、ビルの屋上に設置されている、紫、赤、黄、緑、白、青、等の色とりどりの光が水面に反射して光の帯を作っており、すばらしい眺めであった。再び大量のフィルムを消費して、ホテルへと向かった。ホテル着、22:50。
■1月23日
07:30、起床。やたら分厚い新聞を眺めて、08:20、お買いものツアーに出発。なんと、曇っていた。まずは、オパール屋に向かった。なぜか、店員はN山寺に住んでいたことがあって、我々の卒業した大学の学祭にも来たことのある女性。日本語で、「オパールの値段は色で決まる。」などと説明を受けて、各自、気に入った色のものを買った。しかし、やっぱり宝石は高い!再びお買いものに出かけ、再びSheep skin、地図などを買い込んだ。Sheep skinは帰国後、つなぎ合わされて毛布になる予定である。(スミコ談)
10:00、駐車場に戻り、ガソリンを満タンにして、空港へ向かった。いよいよ、帰国作業の開始である。10:45、Heartsのカウンター到着。しかし、誰もいなかった。備え付けの電話でどうすべきか聞くと、キーをポストような箱の中に入れておけばいいとのこと。ポストの口が狭かったが、無理に押し込んだ。壊れたハッチはたぶん保険で直すんだろうということで、そのままにしておいた。ちなみに、今回の旅行での総走行距離は2893kmであった。
昼飯を交代でとり、12:05、Singapore AirlinesのカウンターでSQ224の受け付けが始まった。その後、Duty free shopでウイスキー、ブランデー、マカデミアナッツ(実はオーストラリアが原産国)、タバコを買い込んだ。3階の見送りデッキでCathay PacificとかMalaysianとかの離発着を眺めてから、出国。リュウノスケの荷物のみ中身をチェックされる。特に問題はなし。ここから先はシンガポールまで、喫煙可能な場所は無かった。
14:30、Boading開始。スミコ、窓際。リュウノスケも一人離れて窓際。ここで、スチュワードの一人が「私にはリュウノスケという友人がいる。」などと、話しかけてきて知り合いになった。結構、空席が多い。
離陸後、海岸に沿って、北上。つまり我々の行程をなぞって進む。やたらとカメラを振り回して外の写真をとった。その姿が異様だったのか、さきほどのスチュワードが話しかけてきた。
スチュワード:「写真はむずかしいだろう。」
リュウノスケ:「とっても、難しい。」
スチュワード:「きれいな窓を探してきてやる。」といって去った。
しばらくして、戻ってきて、
スチュワード:「どこの窓も同じだ。」
リュウノスケ:「コクピットの窓はどうだ?」
スチュワード:「おまえが飯を食い終わったら、連れていってやる。」
偶然にも、ボーイング747のコクピットを見せてもらえる事になった。食後、ファーストクラスを通って、コクピットへ向かう。ファーストクラスも通るだけならただのようだ。コクピット内、パイロット達は何もしていない。車で言えばシフトのあたりにフライトデータの入力装置があって、「今はこれが操縦してる。」とのことだった。正面のコンソールパネルはすべてCRTで6枚。電気が止まると何も判らなくなるのではないかとちょっと心配だ。
17:00、席に戻ると、例のスチュワードがやってきた。
スチュワード:「飲み物はいるか?」
リュウノスケ:「タイガービールが大好きだ。」
いきなり、カンごと出たきた。コップなし。かーなりいいかげん。18:30、さらにタイガービールを1カン追加。すいてる飛行機はサービスがいいものだ。スミコも「SQのカードとゲーム」をもらった。
19:30、チャンギ空港に着陸。まずは、スチュワーデスの団体をつかまえて、一緒に写真を撮らせてもらった。かなり恥ずかしいが、向こうはなれたものである。毎日のように、仕事として、こんなことしてるのだろう。思わず同情してしまう。チャンギ空港探索ツアーに出かけた。最大の目的は「シンガポールまんじゅうは存在するか?」を確かめることにあった。結構、日本人が多い。JALの出るゲート、特に成田行き、なんかには近づきたくもない。日本人の団体なんかより現地の警備員のほうがかわいいものである。ツアイスの双眼鏡を見たり、Sky&Telescopeを買ったり、Science Discovery Cornerで遊んだり、コイや滝を見たり、Terminal1と2を結ぶSky Trainに乗ったりしているうちに2時間ぐらいはつぶせた。
■1月24日
0:30、ジンタロウとスミコの乗るSQ986便大阪行きのBoadingが始まった。ここで、彼らとはお別れであった。しかし、ここまで来てしまえば、もう帰ったも同然である。疲れが溜まっていて眠いせいもあって、妙に無感動なお別れであった。
01:00、SQ990便福岡行きのBoading。01:30、離陸。飯が何が出たか覚えていないが、むりやり詰め込んで、さっさと寝てしまった。
08:15、福岡空港到着。「地下鉄で博多、JRで小倉、バスで自宅」方式と「バスで小倉、バスで自宅」方式の究極の選択の時であった。結局後者にして、ゆっくりおもいっきり寝ながら帰ることにした。この方が安いというメリットもあった。バスに乗ったらまた寝てしまった。国内で持って歩くには、緑ケースはあまりにも怪しすぎることを人々の視線で痛感する余裕も無かった。
最後に、仕事で参加できなかったノブマサオヤジ氏の計画段階での尽力に感謝しつつ。お別れです。さようなら。